ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

尖石縄文考古館へ。

以前、山に登ろうとしたのに林道を歩いて終わった日のことを書きましたが…

その続きのお話です。(もう随分時間が経ってしまったけど…)

※いい機会だからと色々調べながら書いていたら長編になってしまいました。興味のない方はどうぞスルーしてくださいねm(__)m

 

車に戻ったあと「これからどうする?」とあれこれ話し合った私たちでしたが、結果的に向かったのは

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茅野市にある尖石縄文考古館でした。

茅野市尖石縄文考古館 - 茅野市ホームページ

尖石といえば縄文のビーナス仮面の女神の実物が展示されている有名な考古館ですが、もちろんそれだけではなく見どころが盛りだくさん。

特に諸星大二郎好きの私からすれば茅野・諏訪はまさに聖地です。

諸星作品の中で最も好きな『暗黒神話』そして『孔子暗黒伝』は、諏訪ではじまり諏訪で終わります。『暗黒神話』では主人公の武が東京から足繫くここまで通い、そして竹内老人(武内宿禰)に出会う…ワクワク。

 

諏訪といえば。数か月前のことですがブラタモリで諏訪編をやっていましたよね。「なぜ縄文人は諏訪を目指したのか?」面白かったなぁ。

縄文時代中期、諏訪のあたりは全国で最も人口密度が高かったんだとか。その理由の一つが透明度が高く上質な黒曜石が採れたこと。こちらの考古館にもたくさんの黒曜石が展示されていました。本当に透明できれい…そしてものすごく鋭利(・・;)見ているだけでゾワゾワしてしまいます。

もう一つ、鍬として使われていた片岩が中央構造線付近で採れたことも理由なんだそうです。※近年の研究では縄文時代から農耕が始まっていたとか。

更に、諏訪周辺の地形も人々が諏訪を目指しやすかった理由だそうで。糸静線や中央構造線といった断層により作られた谷が富士山からまっすぐ伸びていて(諏訪湖から富士山が見えるって知りませんでした)、縄文海進で住む場所を追われた人々が谷沿いに移動して諏訪に辿り着いた…という説も。

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こうして見ると諏訪周辺からは本当にたくさんの遺跡が見つかっているんですね。ピンがびっしり。

 

この地図の奥に進むと、土器がずらりと並ぶ展示室があります。

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人の顔が表現された土器。真ん中のは(`∀´)←こんな顔に見えてちょっと可愛い…。

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一番気になるのはやっぱり蛇の模様が付けられた土器たち。

暗黒神話でも蛇が重要なキーワードとして描かれています。蛇信仰は古くから全国、更に全世界でもあったそうですが、諏訪周辺では特に多くの蛇モチーフ土器が見つかっているんだとか。確かに信州には蛇にまつわる神話が多くありますね… 

 

諏訪の神様(タケミナカタ)は龍蛇の姿をしていて、十月に出雲へ出向いたところ体が大きすぎて神殿に入りきれず、しかも尾はまだ諏訪の地にあった。困った周りの神様たちが「諏訪の神はもう顔を出さなくてよろしい」と言ったので、それ以来出雲へ出向くことがなくなった。だから諏訪では十月は神無月ではなく、出雲と同じ神在月と言われるんだとか。

他に、甲賀三郎伝説も。天狗にさらわれた春日姫を探して蓼科山の人穴に迷い込んだ三郎は、何年も地底の国を彷徨った後に蛇体となって地上に戻り諏訪に祀られた…というあらすじなのですが、この伝説には他に数パターンあるそうですね(゜.゜)若狭で猟をしている時に兄弟から穴に落とされてそれが信濃まで続いていた、とか、龍となった妻が諏訪湖底で待っていたため三郎も龍になり湖に入った、とか。

上田地域には小泉小太郎伝説というものもあるそうです。私は恥ずかしながら最近まで全然知りませんでした…でも小泉小太郎といえば暗黒神話の初めに登場するちょっと嫌なヤツの名前なんですよね。まさかこの伝説から名前を取っていたとは…。ちなみに小太郎誕生までの流れは三輪山伝説の男女逆パターンのよう(毎晩通ってくる女性に糸を付けておく→正体は蛇だった)。

 

でも、もちろんこの辺りの伝説は縄文時代よりずっと後の話。太古の昔から蛇を神聖視して祀る理由があったんですね…。

よく聞かれるのは「死と再生」の話でしょうか。

医療が発達しておらず子供の死亡率もとても高かったと言われるなど、現在よりも死が身近にあった縄文人にとって、脱皮を繰り返す蛇は命の再生そのものとされてきたそうです。といってもこれは日本の他の地域でも、もっといえば世界の各地でも言われていることなので(エジプト、ギリシャ、インド、中国、メキシコetc...)、諏訪地域に蛇モチーフが特に多いというのは…結局なぜなのでしょうね(;'∀')

そういえば長野県周辺にはミシャグジ信仰というものがあって、山の神様や神社などを調べているとこの信仰に行きつくことがあるのですが…結局のところ、ミシャグジ信仰って簡潔に言うとなんなんだろう。他の神話などは調べれば「へぇーそうなんだ」と何となく理解ができても、ミシャグジだけは今ひとつピンと来ないのです。

伝承では蛇神とされているそうなのですが、道祖神とも関係があると言われたり、他にも「自然造形・現象そのものを神とする自然崇拝」とする説や「諏訪大神のために働く純粋な力(すなわち自然エネルギーそのもの)」とする説など様々。

おそらく…タケミナカタよりも古くから(おそらく縄文から)信仰されてきた神様なのだろうなぁという印象ですが、学者先生によっても解釈が異なる謎の神なので一般人の私が理解できるわけがないか… 頭で考えずにただ感じるしかないのかね、地元の人々は当たり前のこととしてミシャグジ様と共に生きてきたのかしら。

 

…なんて。蛇の模様の土器の前で考え込んでしまいましたが、それ以外でも縄文土器は本当に不思議な造形をしていますよね。パンフレットに書かれた「器としての機能を気にしないかのような立体装飾」という言葉がじわじわと面白い…。

ぐるぐると描かれた円や何本も引かれた線、幾何学模様のようなものも、何らかの呪術のための文様(マッドメンでも主人公が土偶と同じ刺青を施されていたっけ)だったり、自然や神様を表したものなのでしょうか。

生活環境も医療も整えられた中で生活する私たち現代人と違い、飢餓や病気、自然現象などを恐れながら暮らしていた原始の人々はまさに死と隣り合わせ。生きるためには神様に祈るという行為が何よりも重要視されていたのかな…

なんて、ついつい「何か深い意味があるに違いない」と考えてしまうけど、中には絶対「何となくノリで作っちゃったわ」みたいなのもあるかもしれませんね。

土を適当にこねこねしながら「ねぇちょっと見て、土器のデザインこんなふうにしたらカッコよくない?」「それめっちゃウケる」…縄文人がそんな会話をしていたとしたら…それはそれで面白いな('ω')

 

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ぐるりと巡って国宝が展示されているお部屋にやってまいりました。出土された当時の様子を現したレプリカ。

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そしてこちらが本物のビーナス様です。はじめまして。

ほぼ完全な形で出土されたという土偶。丸みを帯びた体、大きなお尻。妊娠した女性の姿を表現していて、安産祈願・子孫繁栄を願う祭祀で使われたと考えられているそうです。

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仮面の女神様も。はじめまして。

こちらは逆三角形の仮面をつけた女性で、神に代わって祭祀をする様子を表現しているとか…。こちらは右足が壊れていて、縄文人が意図的に壊したものと考えられているそうです。

 

何のために作られたのか?何に使ったのか?現在でもはっきりと解明されていない、謎多き土偶ちゃん達。壊された状態で見つかっているものが多いというのは有名な話ですが、それについては様々な説が。有名なのは↓この3つでしょうか。

1.身代わり説…医者のいない縄文時代に、けがをした人の代わりに土偶を壊すことでその人のけがが治るというまじない

2.地母神信仰説…植物の新たな芽吹きを祈って、人間の新しい生命を生む女性像を壊してばらまいた

3.精霊の依り代説…祭祀のときに異世界から召喚した精霊を宿すためのもの。土偶を壊すことで精霊を元の世界へ返す

 

壊された土偶に関してもうひとつ気になるのは、「同じ場所で出土した土偶のかけらは一つの土偶に復元できない」という話。つまりひとつの土偶をバラバラにして、そのかけらをわざわざ離れた場所に埋めているというのです(上の2の仮説と同じですが更に深掘り)。

土偶を壊すという行為も含めて、これらはどういう意図があったんだろうな~とぼんやり思いつつそのままになっていたのですが…

最近たまたま聞いた話で「そういうことだったのか」と思ったことがありました。

※あくまで数ある中の一説です

 

女性の姿をした土偶をばらばらに壊してばらまくという行為は、日本神話に登場するミケツカミ(食物神…古事記ではオオゲツヒメ日本書紀ではウケモチ)の話につながるとも考えられるんだとか。

オオゲツヒメエピソードは私も初めて読んだときに「なんだこの話は」と思ってしまったのですが…

高天原を追放されたスサノオがお腹を空かせて彷徨っていると、オオゲツヒメという女神が現れて美味しい料理をふるまってくれた。でもそれらの食材は実はオオゲツヒメの口や鼻やお尻などあらゆる穴から出てきたもので、それを知ったスサノオは「そんな汚いものをこの俺に食わせていたのか!!」と激怒してオオゲツヒメを切り殺してしまう。するとオオゲツヒメの遺体から様々な食べ物が生えてきた(目から稲の種、耳から栗、鼻から小豆、女陰から麦、尻から大豆)。

同じような豊穣神話は世界各地にあるそうで、中でも代表的なものがインドネシアの原住民に伝わるハイヌウェレ神話なのだそうです。

ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、 様々な高価な宝物を大便として排出することが出来た。周りの人々はその恩恵を受けていたが、終いには気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。 するとその一つ一つからヤムイモやタロイモなど、それまで地上になかった食べ物が生まれ、その後人々の主食物になった。

 

農耕が始まったのは弥生時代からと言われてきましたが、研究が進み現代では縄文時代中期には主に芋類の栽培が始まっていたとされているのだそうです。(畑を耕す鍬のような石斧が大量に見つかっていること、蒸し料理に使われていたと考えられる独特な深鉢土器が発見されていることなどから)

狩猟や採集の時代には、食物を得ることは「母神(大地)から得た色々な食物をそのまま使う」ということ。

しかし農耕が始まると、様々な形で大地に手を加えることになる。これは母神の体に無理強いをし、体を傷付け、果てには殺して食物を得る、という考えにつながる。

アメリカの原住民ウマティラ族は「農耕は母神を傷付け殺す行為だ。そんなことをしたら自分たちが死んだときに胎内(大地)に受け入れてもらえない」という理由から農耕を行わなかったのだとか。19世紀の宗教家、民俗学者であるミルチャ・エリアーデは「これはウマティラ族だけのものではなく人類が共通して持っているごく自然な思想だ」と言ったのだそう。

 

はーーー… 結局は「地母神信仰説」なのだろうけど、この「農耕=地母神を殺す」という発想でなるほど!!と思ってしまいました。変な話ばかりの日本神話の中でも特に「これってどういう意味?何を表してるの?」というオオゲツヒメエピソードですが、そういう考えから来ているのだとしたら納得です。

他にも「農耕を広めたのはスサノオだ」「スサノオオオゲツヒメの結婚」を表しているという解釈など様々ありますが、個人的にはこの仮説が一番しっくりきました。(あくまで個人の感想です)

ウマティラ族は地母神を傷付けないために農耕を行わなかった。私たちの祖先である縄文時代の日本人(他の地域の人々も)は農耕を行いながら地母神を丁重に祀る祭祀を行ってきた。実際に、壊された土偶の一部は住居内の穴や囲いの中から見つかるなど、明らかに祀られた形跡が見られることがあるそうです。

こういった思想が後の時代に伝わっていき、それがミケツカミの話になり、古事記日本書紀に取り入れられたのかな。

 

ちなみに、芋などの栽培が始まったとされる時期は、土偶をバラバラにするということが急に盛んに行われるようになった時期と重なるそうです(縄文時代中期)。

その後大陸から稲作が伝わり、栽培する作物の種類が変わっていくと信仰自体も変化していったのだとか。稲作が始まると、稲が最も神聖で重要な食物とされるようになり、日本書紀でも「稲だけは天の田で育てられるようになった」という話があるそう。

 

以上が「もしかして土偶ってこういうふうに使われてたのかな?」という仮説でした。

家庭菜園レベルの私たちでも「土が痩せてきたな…」と思うことがあります。う、確かに大地を傷付けているな…気持ちの面でお祀りするのも大事だけど肥料をあげなければ(T_T)

 

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何の話をしていたのかわからなくなってきましたが…そうそう考古館の話です。

奥には全国から出土された土偶のレプリカや、上の写真のようなパネルの展示がありました。

中でも面白かったのが「日本の人類史と縄文時代の長さ」。

日本列島に人類(ホモサピエンス)が到達したのは約35,000年以上昔のこと。ここから現在までの日本の歴史を1年に換算してみたというもの。

36,500年前にホモサピエンスが日本到達、1年=100年と仮定すると…

なんと縄文時代の終わりが12月8日

弥生時代はそこから12月14日まで、それ以降古墳時代~現代まではせいぜい半月ほど…。

細かく見ると大化の改新12月18日午前、明治維新12月30日お昼過ぎ。

これを見たら私たちの人生なんて…一瞬なんてものじゃないな(・・;)

(今回は縄文の話なので縄文時代ばかり注目してしまいますが旧石器時代もまたすごいですよね…お正月から夏休みまでですもんね)

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展示物をぐるりと拝見して、ホヘ~という気持ちで(語彙力…)考古館をあとにしました。そしてすぐ裏にある復元住宅へ。

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13,000年ほど続いていたと言われる、長くて長くて長~い縄文時代…。なんとその間、戦争の形跡が全く見つかっていないのだそうです。

狩猟採集の暮らしは不安定で過酷なものという印象がありましたが、近年の研究結果では「なかなか豊かで安定した暮らしだったらしい」ということがどんどんわかってきているのだとか。場所によっては数千年単位で定住していたことも判明したそう。

武器を持たず、装飾品を身に着け、自然を崇めて祭祀を行う。縄文人、精神性が高すぎますな…

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我々も見習わなければいけない…とは思うのだけど…

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いきなり現代の暮らしをガラリと変えることは難しいので…何かできることがあれば少しずつ…

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で、なぜかラーメン屋さんに直行した私たちなのでした。

なぜってただ単に食べたかったからなのですが…。

 

だらだらと長々と書いてしまいましたが、読んでくださりありがとうございました。諸星大二郎作品がきっかけではじめた歴史や神話の勉強ですが、数年空けてまた最近楽しいなと思うようになってきました。

次は守矢史料館に行ったことを書く予定です。他にも行きたい場所が色々とあるから少しずつ…。