ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

諏訪上社巡り 2022年4月25日【2】磯並四社

その1は「小袋石」編でした。こちら↓

小袋石というのは諏訪七石のひとつであり、「諏訪信仰の始まり」とも言われる磐座信仰遺跡です。

今回は周辺にあるお社のメモをば。

 

現在小袋石周辺には『磯並社・瀬神社・穂股社・玉尾社』という四つのお社が残っていて、前宮より古いものだと言われているそうです。古地図によると昔はこの四社以外にも日月神・神事屋・五間廊・舞台などもっと多くの建物があり、上社にとって重要祭場だったとか。

現在でも4月に磯並四社祭という神事が行われているそうです。神職の方と氏子さんの数人で行われるそうなのですが、昔は女性やお子さんも参加し、春の草花で作った花かずら(髪飾り)をつける風習があったと案内板にも書かれていました。にぎやかに和やかに行われていたのですね。 

舗装路から山道に入り、最初に出会うのが『磯並社』。

祭礼データを参考にさせていただくと、ご祭神は玉依姫神と池生神だそう。

池生神(池生命・いけのうみのみこと)はタケミナカタ御子神ですが、タマヨリヒメはワタツミの娘さん、トヨタマヒメの妹さん、ウガヤフキアエズの奥さん、そして神武天皇のお母さん。海に関係のある神様だけど諏訪とは一体どんなご縁が?

気になるのは、例の語り部さん(小袋石の話で書いた方)は「こちらのご祭神はワタツミです」とおっしゃっていること。古代の諏訪湖はこの辺りまで水が来ていた、お社の名前に磯という字が使われている、などなど海人族とのつながりは何かしらあったのでしょうね…。(いずれ安曇族についても調べたいなと思っているところ。)

 

そうそう、こちらは磯並社ですがもう少し上に磯並山社というお社もあるらしく、そちらのご祭神は大山祇命だそうです。(4月の神事として磯並四社祭の他に磯並山社祭も行われているみたい)

以前からワタツミとオオヤマツミってツミつながりで何となく名前が似ているなぁとは思っていたけど、どちらも海人族と関係のある神様だそうですね。海人族が航海をして辿り着いた先で舟の修理をするために山から木材を調達したこと、山や森の環境が海に直接影響するため森林保護を大切にしていたことなどから、海人族はワタツミ・オオヤマツミのどちらの神様も祀っていたとか。

現在でも魚つき林という言葉があるのですね、恥ずかしながら初めて知りました。

魚つき保安林は森林法第8条に基づき指定される保安林の一つ。昔から、漁業者の間には、海岸近くの森林が魚を寄せるという伝承があり、そのため海岸林や離れ小島の森林を守って来た歴史がある。そのような森林を魚つき林(うおつきりん、魚付林・魚付き林)という。現在、そのような名目で魚つき保安林という名のもとに保護を受けている区域もある。

お社の下の巨石は舟の形をしているそうですよ。言われてみればそう見えるような。

 

お参りをして坂を上っていくと…

お次は瀬神社。ちっちゃい御柱が可愛い。ちゃんと一から四までで長さを変えてあるのがさすがですよね。

ご祭神は不詳とのこと。ただ、茅野市内某所に同じ瀬神社という神社さんがあるらしく、そちらのご祭神は須勢理姫命なのだそうです。スセリビメといえばスサノオの娘さんで大国主命の奥さん。大国主命タケミナカタのお父さんというご縁で祀られているのかな?(※タケミナカタのお母さんはスセリビメではなくヌナカワヒメ)じゃあお父さんの大国主命で良くないか?と思ってしまうのは素人考えかしら。

瀬神社については語り部さんではなくアシスタントの方が「瀬織津姫?」とおっしゃっていて、それについては否定も肯定もされないまま次のお話に移ってしまったので色々と気になるところ…(天竜川にも瀬織津姫信仰があるとかどうとか)。水、川、龍…うむむ。

ところで。お社のすぐ横に小さな石棒のようなものが置かれていました。なんだろう?御柱…ではないし。お社の屋根を支えていたものなのかな?でも四本だから違うかなぁ。

 

更に坂を上り、お次は穂股社です。

ご祭神は御井神。…って、どなただろう??(・・;)

調べてみたら大国主命ヤガミヒメ御子神で、御井神(みいのかみ)または木俣神(きまたのかみ)とおっしゃるのだそうです。ヤガミヒメといえば大国主命の最初の奥さんなのだけど、正妻スセリビメの嫉妬深さに恐れをなして、自分の子供を木の股に挟んで実家に逃げ帰ってしまった女神様… おお、そのお子さんなのか!!まさかこんなところに祀られていらっしゃるとは。

ちなみに語り部さんいわく「ご祭神はオシホミミ、信州ではオモイカネ、戸隠の神様です」とのこと。・・・え?え??確かにオモイカネは戸隠でも祀られている神様ではあるけど、オシホミミ=オモイカネ説は初めて聞いたような。

 

あっ!そういえばの話ですが、瀬神社にあった四本の石棒はやっぱりお社の屋根を支えていたものだったようですね。穂股社の柱も亀裂が入っていて、ポキッといってしまいそうでした。もしかしたら既に折れたものをぎゅぎゅぎゅっとはめ直したのかも…。

 

最後は玉尾社。

ご祭神は興玉命(おきたまのみこと)。
伊勢神宮内宮の所管社およびその祭神で、猿田彦と同一とされることもあるそうですが… あっ、二見興玉神社の興玉さんか!伊勢の神様がどういうご縁でこちらへいらしたのでしょうね。興玉命が祀られている神社は信州ではほとんどないそうです。

ちなみに語り部さん説では、ご祭神はニギハヤヒ(アマテル)とのこと。

諏訪と物部氏の関係が気になるなぁと思っていたら、ニギハヤヒの名前が出てきてしまった(;'∀')決して出来の良くない私の脳内はそろそろオーバーヒートです…

こうして磯並四社のお参りを無事に済ませたわけなのですが、なんというのか奥深過ぎて。やっぱり出雲との結びつきが強いんだろうなと思いきや、海人族や伊勢とのつながりもありそうで。そういえば伊勢のイセツヒコがタケミナカタと同一だとか、一緒に逃げてきたとか?そんな話も聞いたことがあるような(更に混乱)。

祀られている神様がどこからいらしたか…というよりも、現実的に考えるとそれらの神様を祀る一族がどこからやってきて諏訪へ辿り着いたのか?あまりに深くて沼でしかないですね。

分かる範囲で調べたことをまとめようと思って書いたこの記事ですが、書きながら「???」となっている私です。読んでくださる方も「???」ですよね、すみません。いや、詳しい方は「何言ってんだ?」「全然違うぞ!」というご感想をお持ちかも(;'∀')あくまで諸説ある中の一説だと、軽く捉えていただければ幸いです。

舗装路に戻ったところにあった桜の木。風が吹くと桜吹雪がきれいでした。

テクテク歩いて次の目的地へ向かいます。

良い天気… 向こうに車山が見えているな。

こういう石積みらしきものがあると全部古墳に見えてしまう。畑や田んぼから出てきた石を積み上げただけとかそういったものなんだろうけど。でも「隠れ古墳」も実際はかなり多いそうですよね。松本だったか長野だったか、ただの小高い山だと思っていたら実は古墳で現在発掘調査をしているというニュースを見たような。まだまだいろんなものが山の中に埋まっているんだろうなぁ、ロマンですね。