ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

「国境の長いトンネルを…」。

冬に木曽へ向かうとき。

伊那側ではあまり積雪がなくても、権兵衛峠の長いトンネルを抜けると

一気に冬が深まったように感じられることがあります。ちょっと大げさに言うと川端康成の『雪国』みたいだな、なんて。

 

『雪国』といえば、少し前に読んだ飯間浩明先生の著書に面白い話が書かれていました。

有名な書き出しである「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の「国境」の読みは、コッキョウなのか?それともくにざかいなのか?という論争が過熱した過去があるのだそうです。

まず初めに書かれていたエピソードは、昔のとあるテレビ番組でのクイズコーナー。『雪国』の書き出しについて問われた女性陣が「コッキョウの長いトンネルを…」と解答したところ、それを観た放送作家か放送評論家が「最近は言葉を知らんやつが多くてけしからん!あれはくにざかいと読むのだぞ!」と憤慨した、というものでした。

その後も「コッキョウと読む人間は教養がない」「くにざかいと読んでこそ日本語の達人だ」など、なかなか過激な主張をする人が度々現れたそうで…

この時点で「え?コッキョウ一択じゃないの?」派の私は震え上がっておりましたが、飯間先生ご自身は「コッキョウの方が簡潔で好きだな」と書かれていたので、そうだそうだ!と思わず気が大きくなりかけてしまいました。エッヘン(?)。

でも…くにざかいというと和語だし、日本国内の行政区画のことを言うならそちらで読む方が自然なのでしょうか。

そう思って読み進めていくと、次はコッキョウとくにざかいという言葉の意味、そしてどのような場面で使われてきたのかという話になりました。

辞書や過去の文学作品、流行歌の歌詞、更には湯沢町の資料館(雪国館)で使用されている映像のナレーションまで、様々な用例や資料を挙げての考察が続いたのですが、結局は「どちらの言葉を使っても間違いではない。例え国境をコッキョウと読んだとて間違いと非難するのは行き過ぎなのでは」という結論に至ったようです。

※かなり雑に要約してしまったので(いや要約すらできていない気がするけど)、きちんとお知りになりたい方は『遊ぶ日本語 不思議な日本語』をお読みくださいm(__)m当店の本棚にもあります。

 

さてここで気になるのは「作者の川端康成はどう思っていたんだろう?」ということですが、それについてもきちんと書かれていました。

とある雑誌のインタビューで「国境はくにざかいと読んだ方が… そう読む方も多いと思いますが」と問われた川端康成は「そうですかしら。長谷川泉さんはくにざかいの方がいいということですがね、みんなコッキョウと読んでいるでしょう」と答えたのだそうです。

へぇ、なんだか面白い(゜゜)やんわりとした言い方ではあるけど、ご本人は中立寄りのコッキョウ派ということなのかな(個人の解釈です)。

※飯間先生の解説では、上越国境(こっきょう)や信越国境(こっきょう)と言うからコッキョウの方が良いのではないかと考えられたのだろう、と書かれていました。

最終的な結論としては、国文学者であり作家の平山三男さんが

この二説はともに納得でき、互いに他を凌駕するものではなく、読者それぞれの語感に従って読めばよかろう。

と述べ、飯間先生も「ぼくもそれが妥当だろうと思います」ということで両者引き分けに落ち着いたようです。(ところで平山三男さんって川端康成研究がご専門なんですね)

じゃあ私もこれからは縮こまることなく「コッキョウの長いトンネルを…!」と言おう。それにしても漢字の読み方ひとつで大論争に発展することもあるんだなぁとびっくりしてしまいましたが、きっとこのような話はそこらじゅうにあるのでしょうね。数十年も日本語母語話者をやっているのにまだまだ知らないことだらけです。