先日お邪魔した冬季企画展『週末縄文人、ミュージアムに現れる』の話。
会場となる浅間縄文ミュージアムは、御代田町のエコールみよた内にあります。図書館や会議室、コンサートホールまで併設されている大きな施設でして、ミュージアムは入って右側に。
公式サイトはこちら→浅間縄文ミュージアムHomepage
入口には早速企画展の案内が\(^^)/
ミュージアムに向かって歩いていくと… おぉ、その手前に企画展示室がありました!そういえば入場無料でしたね。誰でもふらりと立ち寄れてありがたや。
入口に設置されたテレビからお二人の動画が流れています。
部屋の中央には銀の盾。登録者数10万人ってすごいなぁ…と改めて思ったのですが現在は19万人ですって。
室内にぐるりと展示されている、お二人が実際に作られた数々の道具たち。
…と、当然のように本題に入ってしまいましたが、「週末縄文人」とは縄さんと文さんという都会のサラリーマン二人組が自然にあるものだけでゼロから文明を築いていくYouTubeチャンネルのこと。人工物が何もない山の中、身ひとつで生活に必要な道具をひとつひとつ手作りしていく様子がとても興味深く面白いのです。
「こういう活動をしている人たちがいるんだ」というのは以前からぼんやりと知ってはいたものの、初めて動画をじっくり拝見したのは尖底土器の回だったような。(過去記事:尖底土器と炉とロケットストーブ。 - ひねもすのたり。)
↑このリンクは私のブログ記事ですが、当該の動画はこちら↓
これまで考古館や本などで見るたびに「縄文時代早期の人々はなぜこんな形の土器を…?」とずっと不思議に思っていましたが、この動画のおかげで解像度が爆上がりしました。
ただ、今思えばこの尖底土器を作っていた頃にはお二人の文明はわずかに進んでいたのですよね。最初の動画から順に拝見したらまさにゼロからのスタートで、家を建てるための木を切ろうにもまず斧がない。土器を作ろうにも土を採取して運ぶためのカゴがないし、水を汲むための器すらない。そして石も木もツルも、採ってすぐそのままは使えない。何日もかけて下準備をし、加工して、相当な労力をかけた末にようやく「道具」が出来る。それを使って別の素材を採取し、加工して…
考えただけで気が遠くなりそう。
よくぞここまで…と感嘆しながら動画を見ているとあっという間に時間が溶けていきます。挑戦しては失敗して、励まし合いながら突破口を見つけていく様がとても逞しい。お二人とも変に古風なわけでもなく、ちゃんと現代の若者っぽいところも面白い。
…だらだらと失礼しました、ただの一視聴者である私がご紹介をするよりもまずは動画をご覧いただくのが一番ですよね(回し者ではありません)。
生活に欠かせない火。お二人が「シルバーウィークの4連休で火は確実に起こせるとして、あとは他の作業を…」と目算を立てたもののそれは大失敗に終わり、実際に火起こしに成功したのはなんと2か月後だったという。
初めて火種ができたとき、縄さんが小さな声で「ついてるついてるよ」と言い続けていたのが「世界一小さなエール」として本に書かれていて、なんだかほろりときてしまいました。
悲しみあふれる折れた石斧。
革命と評された柄付きの斧。
ところで、動画内でお二人が木やツルを切ったり地中の根っこをビビビッと引っこ抜いたりする様子を見て、土偶に関するとある仮説のことを思い出しました。
縄文時代の土偶はそのほとんどが壊された状態で出土するというのは有名な話ですが、その理由について「自然に手を加えることは地母神を殺すことだと考え、土偶を地母神に見立てて壊した」という説があるのです。壊した土偶の欠片をあちこちに埋めたり祀ったりすることで植物の新たな芽吹きを祈ったのでは、ということらしいのですが、その信仰のことはなんとなく頭で理解しつつもなかなか実感が伴っていなかったのです。
それがなぜか週末縄文人さんの動画を見ていたら「これは確かに植物や土を弔う気持ちが湧いても不思議ではないな」と… もちろん画面を通して見ている私がそう思うくらいだから当のご本人は強く実感されたらしく、「春先、木の幹から吹き出した水が返り血のようで思わず斧を振る手を止めた」と本に書かれていたのが印象的で、これがある種の答え合わせのようでした。
話が少し反れますが、土偶を壊すことについての論争が設楽博己さんの『副葬される土偶』(国立歴史民俗博物館研究報告第68集1996)という論文にありましたので一部を自分用にメモ。
水野説や土偶故意破壊論を受け,藤森栄一は破壊される土偶を古事記に登場する殺された身体 から栽培植物などが生じたオホゲツヒメと重ね合わせ〔藤森 1969〕,吉田敦彦は土偶の破壊とセ ラム島のヴェマーレ族の神話などに登場するハイヌヴェレの殺害(4)を関連づけて〔吉田 1976〕, 縄文農耕論の,あるいは日本神話にみるモティーフが縄文時代にまでさかのぼることの立証材料 にしようとする。かつて八幡一郎が厳しく批判した〔八幡 1939〕鳥居龍蔵の土偶地母神説〔鳥 居1922〕が,形をかえて復活したものとみなせよう。
藤森栄一さんの、土偶とオオゲツヒメの重ね合わせの話は本当に不思議。「まぁこれはそういうお話ですし」で片づけてしまいそうな記紀神話のエピソードが、もしかしたら縄文人の精神世界とつながっていたかもしれないと思うとすごく面白い。それにしても「厳しく批判された」という鳥居龍蔵さんの説が俄然気になってきますね…どこかで読めないかな。
話が脱線しましたが展示に移ります。私が大好きな土面。あちこちの考古館などでも土面があると必ず注目してしまいます。
私が土面にここまで惹かれるのは、恐らく数年前の諸星大二郎原画展にて「トコイさんほんまにおったんか」と腰を抜かしたことに端を発するのでは(という自己分析)。
ちなみに新潟でトコイさんのレプリカに出会ったときの話はこちら→【過去記事:かもしかみち。 - ひねもすのたり。】藤森栄一さんの本の話題からなぜトコイさんになったんだっけ…あ、ルングワンダルングつながりか。
縄文時代の遺跡からは、土面そのものはもちろん土面(仮面)をつけたとみられる土偶も多く出土されていますが、当時の人々は何を思って土面を作っていたのか…私はまだまだ勉強不足ですがとても気になる遺物であります。
こんな解説パネルがあり目が釘付けになってしまいました。当時の埋葬方法や副葬品などの解説だったのですが、この墓標についての詳細はなく謎のままです。もしかしたら亡くなった方のお顔を模したものだったのかも…今でいう遺影のような。というのは私の完全な妄想ですが。
また脱線してしまいすみません、お次は土器です。成功品のほか、失敗したものも展示されているのが嬉しい。これがあの「ボン!!!」と爆発した土器たちか…!斧もそうだけど、あれだけの時間と労力を費やした先にこのような結末が待ち受けているとは…動画を見ているだけで私まで膝から崩れ落ちそうになりました。つらい…。
ただ、私たちは「土器はこうして作られる」という工程はなんとなくでも知っているけど、縄文時代の人々は完全にゼロからのスタートで、土に水を混ぜて練ってそれを焼いたら硬い器が出来るんだ、という発見をするまでにどのくらいの時間を費やしたんだろうな…と考えはじめるとまた気が遠くなりそうですね。
一説によると日本列島に人々がやってきたのは3万8千年ほど前で、現時点で見つかっている最古の土器は1万6千年ほど前のもの。その頃にいきなり土器ができたのではなく、数千年数万年の間に色々な挑戦をした末にようやく出来上がったのかな。
土器作りの方法が確立してからも様々な工夫が絶えずされてきたのでしょうね。「土だけだと割れやすいから砂を混ぜよう」「土器の内側をよ~く磨くと水が浸み込みにくくなるよ」「焼く前によく乾燥させて、あと余熱もね」などなど、昔の人々はよく気付いたなぁ…と感嘆しきり。失敗しては考え、新しい方法を試す。その果てしない繰り返しのずっと先に私たちが生きているのだと思うとなんと感慨深いことよ。
例の尖底土器も展示されていました\(^^)/見事な底の尖り具合。実物が拝見できて嬉しいな~。
その他の成功した土器たちも。ぐるぐる渦巻は不在でした。
週末縄文人さんの動画の中で一番印象的だったのは、土器作りで失敗を繰り返したあと、新たな土器に縄目の文様を施しながら
「縄文人がなぜ土器に縄文をつけたのか、わかったような気がする。撚り合わせて強くなったヒモを押し付けることで、その強さを土器に宿したいと願ったのではないだろうか。」
これは実際に土器に作りに挑戦し、何度も失敗を重ねた人にしかわからない境地だな…とぐっとくるものがありました。
他にも生活に必要な品々はたくさん。
鹿のツノから切り出した縫い針と釣り針。これがあのズボンの大穴を縫った針ですね…どちらももはや芸術品として飾っておきたいくらいですが、日用品のため使わなければ意味がない。しかも使えば壊れることもあるからまた作り直して…エンドレス。
針の歴史は相当古いらしく、旧石器時代の2万3千年ほど前に沖縄や東ティモールの遺跡で貝製の釣り針が見つかっているのだとか。縫い針もやはり旧石器時代には骨角製のものがあったそうですが、なんとこちらは5万年前まで遡るのだとか。当時はこういう細かい作業もできなければ生きていけなかったのかな、でも中には苦手な人もいて「私この作業ダメだわ、あんた作って」ということもあったんだろうか、と妄想。
縫い針とセットで使う糸も、カラムシという植物の繊維から作らなければなりません。土器や石器などと比べると「糸」や「ヒモ」はなんだか地味な印象がありますが、週末縄文人のお二人が「なんて美しい発明なんだ!!」と感激していたのを見て、ヒモに対する印象がかなり変わりました。確かに、道具にヒモが加わることで出来ることの幅はぐんと広がりますね。
本にもヒモに関する話は書かれていましたが、中でも印象的だったのは
繊維を撚ったものはその太さに応じて、綱・縄・紐・糸と名を変える。この名詞の多さから、日本人の営みに“撚ったもの”がいかに多様な役割を担ってきたかがわかる。
という箇所。他にも、縄文人が土器に縄の文様を入れたこと、蚕のことをお蚕さまと呼んで崇めていたこと、今でも神聖な場所にはしめ縄を張っていること。現代人が忘れているだけでヒモは尊ばれるべき存在だったのでは、という縄さんの文章には大きく頷いてしまいました。
ツルで編まれたカゴ。現代でも趣味としてカゴを編まれる方はいらっしゃいますよね。我が家にもツル性の植物が多くて「あーもう、こんなところにも!!」とぶちぶち退治しているのですが、時々ふと「…これでカゴ編めるかな」と思ったことはあります。が、思っただけ…編むの難しそう…。でも気力が湧いたら挑戦してみようかな。
こちらは「縄文時代にあったかもしれない」と書かれていたタモ。こちらにも丁寧に撚って作られたヒモがたくさん使われています。はぁ~なんて細かい作業なんだ。道具を作るのにこれだけ労力をかけていたら、魚が捕れたときの雄叫びも「そりゃそうなるわ!」ですよね\(^^)/
これ、すごく気になっていました。樹皮座布団とスゲ笠。絶対になきゃ困る、というものではないけど確実にQOLは上がりますよね。私たちも山へ行くときに薄くて軽いミニおざぶを持っていくことがあります。地べたに直座りでも抵抗はありませんが、地面が濡れていたり雪があるときなんかはすごく助かるアイテムです。
あとスゲ笠は現代の夏の外作業には欠かせないものですよね。とはいえここ数年の暑さでは外作業自体が危険行為となってしまうこともありますが…でも山(森)ならまだマシなのかな。
さて、こんなふうに私たちがまじまじと展示品を眺めている間、この施設内でのお教室が終わったのか、ヨガマット風のものを抱えた女性数人が入ってこられました。
皆さん口々に「この人たちね、全部自分たちで…」「はぁ~~~これも自分で…」「まぁ~~~よく作ること…」「あらこんなものまで…」とため息交じりに話していて、私も心の中で「ほんとにすごいですよね…」と相槌を打っておりました。
常設展まで堪能したあと、ミュージアムショップで週末縄文人さんの書籍もしっかり購入してまいりました。(この記事内で「本」と書いていたのはこのことです)
動画を見るだけでも楽しめますが、縄文活動についての裏話やお互いについての思い、これからのことなどとても興味深く読ませていただきました。お二人の動画が好きな方は必読ですよ~。
この企画展は今週末2/16(日)までなので早く投稿しようと思いつつ、脱線に次ぐ脱線でだらだら長くなってしまいました。いつも読んでくださる皆さま、ありがとうございます。ご興味のある方は最後の土日にぜひぜひ~。