唐突に蛇の話。
「巳年だからなにか蛇にまつわるものを載せたいんだけど特にないな…」とぼんやり考えていた今年のお正月。
でも、よく考えたら私の写真フォルダには蛇があふれ返っていました。
じゃじゃん。蛇といえば中部高地の土器ですよね。長野県~山梨県の考古館や博物館などで、これまでたくさんの蛇文様を見ているな、とふと思い出したのでした。(いわゆる勝坂式土器は関東にも多くみられるそうなのでいつかそちらにも足を運んでみたい)
縄文人はなぜ土器に蛇の文様を付けたのか…については様々な説があるそうですが、よく聞かれるのは以下の三つ。
- 強い毒を持つ蛇(マムシ)は強い生命力の象徴
- 蛇は脱皮を繰り返しながら成長する。そして冬は冬眠し、春に再び地上へ出てくることから、再生の象徴
- 蛇は多産であることから子孫繁栄の象徴
さらに私が気になっているのは、武居幸重さんの「蛇は縄文時代にも畑の守護神だった」という説。
字が小さくてスミマセン。武居さんは縄文時代中期から農耕が存在していたのではないかと考え、その中で「蛇はノネズミの天敵で、畑の守護神だった」と縄文土器におけるヘビ文様の意味について述べられたそうです。(この新聞記事は岡谷美術考古館で拝読したもの)
なんだか少し前に書いた「蛇や猫はお蚕様の守り神」という話を思い出してしまいました。(過去記事:蛇神、猫神、にゃんこ舞。 - ひねもすのたり。)←この時は思いがけない結末でしたけど
文字や絵柄などを使うことで他の生物の力を借りる… 数千年前の人々と現代の私たちは同じようなことをしているんだなと思うと面白いですね。
ちなみに武居幸重さんの本がどこかで読めないかなと調べていたときに辿り着いた、息子さんのブログはこちら→縄文記号の世界 興味深い話がたくさんです_(._.)_
茅野市縄文ガイドブックのコラムに書かれていた、
自然と一体となって生きていた縄文人。あらゆる生き物の再生を信じ、子孫の繁栄や豊かな自然の恵みを願う心をヘビ文様に託す。そして、大切な食べ物を調理する土器につけて、ヘビ文様に託した心を共有・共感することは、文字のない縄文時代において、とても大事なことであったように思われる。
という文章も印象的でした。共に生きるムラの人たちと同じ思いを共有する。土器の文様にはそんな意味合いもあったのかもしれないですね。
蛇のとぐろか、それとも当時の髪型か…。頭部に小さな穴が開いているのは「鳥の羽を刺していたのでは?」という井戸尻考古館さんの見解。
諸星作品『暗黒神話』でタケミナカタのモデルになったとされる龍蛇の神。いつも暗いところに置かれているので一度明るい場所でまじまじ眺めてみたいな。
完全なる蛇で恐ろしさすら感じる造形。そして神像筒型土器などにも張り付いているこのタコの吸盤のようなものもすごく気になる。なんなんだろう。タコ焼きが食べたくなってくるのですが。
抽象文は井戸尻でみづち(想像上の水棲生物)ですが、研究者によってサンショウウオだ、いやマムシだ、など意見が分かれるそう。尖石では「縄文人にとってヘビ的な想像上の生き物かもしれない」と締めくくられていました。
そして蛇といえば忘れてはならないのがこちらの蛇体把手付深鉢。『暗黒神話』の冒頭、主人公の武がここ尖石縄文考古館で眺めていた土器です。聖地巡礼でござる。
私もこの土器と対面するたび、いつ竹内老人から「縄文がすきなようじゃね?」と話しかけられるかとドキドキしてしまいます。
・・・・・そうだ!尖石縄文考古館で竹内老人といえば!!
昨年の夏に訪れたときにようやく見れました。
これです!!!以前SNSで「尖石に竹内のじいさんがいた」という投稿を見て以来、ずっと気になっていたのですよ~まだあってよかった。永久に残してほしい。
いいなぁ…本当に…(しみじみ)。ちなみにこの時わたくしは
カオカオ様Tシャツを着ておりました。考古館や博物館に参上する際の正装となりつつあります。これからも大事に着よう。
最後はカオカオ様になってしまいましたが、唐突な蛇備忘録でした_(._.)_そういえば今朝の新聞に蛇の釣り手土器が載っていたような。今年中にぜひ見に行きたいな。