ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

『みずうみ』の母。

昨年末に読んでいた『みずうみ』の読書メモを今更ながらつけています。

ドッグイヤーをひとつずつ拾ってノートに書いていくのですが、「母は欲りせり君ならで…」から始まる民謡の箇所がよくわからなかったな、と何気なくネットで検索してみたところ、ドイツ文学者・三浦淳さんが書かれた『インメンゼーに表れた母娘の関係』という文章に辿り着きました。

インメンゼーの母娘関係

民謡の意味が分かればいいやと軽い気持ちで読み始めたら、この作品自体の見方ががらりと変わってしまって… 「あれ?私この物語をまったく理解できていなかったのでは…?」と目から鱗がボロボロ落ちて山になるほどでした。

少年時代のラインハルトが森でイチゴを見つけられなかったこと、エーリッヒの仕事にエリーザベトの母親も関わっていること、エリーザベトが物乞いの少女に財布の中身をすべてはたいてしまったこと。確かに母親がキーパーソンなのではと思ってはいたけれど、そういうことだったのかとようやくすべてがつながりました。

「まぁ、人生って思い通りにいかないよね、というわけで読了~」で終わらなくて本当によかった…諸々を踏まえて再読しなければだわ。

 

ところでこの本は中古のものを購入したのですが(狂気のスポンサーことバリューブックスさんで)、「母は欲りせり」の民謡のところに線が引かれていました。

かからざり/せば/尊かる

など。書き込みのある本を売りに出すのはマナー的にどうなんだというのは置いといて、なんだか学生時代の授業を思い出して何ともいえない気持ちになりました。前の持ち主はどんな方だったのか、この本を読んでどんなことを思ったのか。

あとこれは備忘録ですが、三浦淳さんの文章の中で引用されている民謡は「母の願いは」から始まり、国松孝二さんの訳とのことでした。他の訳者さんのものも読んでみたいな。

 

それにしても。

昨年このブログで『みずうみ』を読み始めた、という話を書きましたが…

『みずうみ』を読む。 - ひねもすのたり。

この時はわりと序盤で「切られ与三郎」を脳内召喚してしまったためにドイツ文学のムードが台無しになり、その後何日かは表紙を見るたびに「いやさお富ィ~~~」が再生されるので難儀しておりました。が、シュトルムの筆に助けられいつの間にか与三さんの幻は消え失せたのでした。

「僕には秘密がある。美しい秘密がある」

こんな素敵な言葉、他にどの本で読めるだろう。これだけでこの本に出会えてよかったと思えるほどの名言だわ。

 

…と、うっとりしていた私でしたが。

昨日訪れたとあるリサイクルショップにて

昭和35年の『お富与三郎』と出会ってしまった…!!これはこれはと思って数ページ読んでみたものの、店内が冷蔵庫どころか冷凍庫レベルに寒かったのでそそくさと退散したのでした(購入するほどの情熱はなかった)。不思議と見つけてしまうものなんですよね、こういうのって。

 

さて、『みずうみ』には表題作のほかにもいくつかの短編が収録されており、そちらも良かったのでまた改めてメモをつけていこうと思います_(._.)_