とある事情から表題作「グッド・バイ」を読みたかったところでタイミングよく出会いがあり、嬉々として購入した一冊。(過去記事: 命のおかき、そして古本。)
被災・疎開の極限状況から敗戦という未曽有の経験の中で、我が身を燃焼させつつ書きのこした後期作品16編。(内容紹介より)
収録されている作品はいずれも昭和20年の終戦から昭和23年に太宰が入水自殺を遂げるまでの3年間に書かれたもの。初めに収録されている「薄明」は
東京の三鷹の住居を爆弾でこわされたので、
という特大インパクトの書き出しから始まり、一家で甲府へ疎開したところその地でも焼夷弾攻撃に遭うという憂き目について綴られていて、その臨場感あふれる書きっぷりに不謹慎ながらもかなり惹きつけられるものがありました。
そして個人的に衝撃だったのが、戦火から家族と家を守ろうとする太宰の力強い姿。
いざ焼夷弾が落ち始めたら妻と子供たちは真っ先に逃がし、私と義妹は残って出来るかぎり火勢と戦いこの家を守ろう。焼けたら焼けたで、みんなで力を合わせて小屋でも建てて頑張ってみようじゃないか。
「頑張ってみようじゃないか。」この頼もしさに、どうした太宰、あのダメ人間っぷりはどこへ行った?と困惑したのは私だけではないはず。
しかし実際に焼夷弾攻撃が始まったのは、幼い子供がひどい結膜炎で失明状態にあるという、太宰にとって「最悪の時期」だったそうで、太宰と妻の二人がかりで子供たちと敷蒲団を抱えて家を飛び出したのだそう。
田んぼへ出て蒲団をかぶり攻撃に耐えていると、辺りは火の海に。このような状況の中、太宰は「早く火を消すんだ!」と妻含め周辺の人たちにも大声で呼びかけながら火を片端からおさえて行った… そして妻や子供たちへ「怪我は無かったか」という気遣いも忘れない。
太宰ってこんなに冷静かつ果敢に行動できる人だったのか。
酒ばかり飲んでよその女と心中するというあまりに強い負のイメージを、この「薄明」という作品がすっかり消し去ってしまいました。
…いや、そういえば作中でも外で飲んで家へ帰る途中で吐いたという描写はあったような…。
そうだ、この焼夷弾攻撃が始まる直前、失明状態の子供が暗い部屋にしょんぼり立っている姿を見て「私が貧乏の酒くらいだから子供がめくらになったのだ。罰だ。もしこの子の目が見えなくなったら、自分はもう何も要らない。一生この子のそばについていてやる。」と綴っていたのでした。
身を挺して家族を守ろうと奮闘したのは、罪滅ぼしの気持ちも少しはあったのかもしれないな…と思うとなんだか切なくなります。
結果的に疎開先としてお世話になっていた義妹の家は焼けてしまったものの、太宰一家も義妹もみんな無事で、子供の目も医者に診てもらうことができたそうです。さてこれからは太宰の故郷である津軽へ行こう、という話になるのですが…
「なに、心配はいらないよ。みんなでおれの生まれ故郷へ行けば何とかなるさ」という太宰に対し妻も義妹も沈黙した、というシーンには思わずふふっと笑ってしまいました。
「やっぱりどうも、おれは信用が無いようだな」
「そりゃそうよ。父さんはいつも非常識なことばかりおっしゃるんだもの」
更に太宰は妻から「こんな時だってお酒があったらどうせお飲みになるんでしょ」と追撃を受け「そりゃ、飲む、かもしれないが」としどろもどろになるのでした。
この短編は、結膜炎が治りようやく目が開いた子供を連れて家の焼け跡を見に行くところで終わります。
「お家が焼けちゃったね、兎さんもお靴もみんな焼けちゃったんだよ」と声をかけると「ああ、みんな焼けちゃったね」と微笑する幼い子供。この微笑という言葉がとても印象的なラストでした。まだ五歳で二度も家を焼け出されるという経験をしたこの子は何を思うのか。
…『グッド・バイ』の読書メモのつもりが気付いたら「薄明」の読書感想文になってしまいました。
この他、故郷の津軽へ家族とともに移り住んだり、その長い道中で親切な方に出会ったりと家族が絡むエピソードが続き「太宰は晩年このような生活をしていたのか」と妙な好感を持った私でした。
が。
戦後この生活は静かに狂い始め、破滅に向かっていく様子があまりに顕著で、それはもはや見ていられないと思うほど。そして表題作「グッド・バイ」まで一作ずつ順番に読んでいく中で浮かんだ率直な感想は
「おいお前、いい加減にしろよ」
口が悪くてすみません、でも、戦後の東京に再び戻ってからの太宰の作品を読んでどう感じたかと問われたら
「おいお前(太宰)、いい加減にしろよ」
のひと言に尽きるのでした。
ふと、我が家の本棚に『人間失格』が二冊あることが発覚した際にオットが言い放った「太宰はあんまり好きじゃないから(自分のじゃない)」が脳裏をよぎる…。
序盤でぐっと上がった好感度が落ち始めたきっかけは、「メリイクリスマス」という作品の
こいを、しちゃったんだから。
に尽き、私はここで太宰(笠井)の頭を巨大ハリセンでぶっ叩いたのでした。
この感じは、確か宮沢章夫さんが書いていた「お、だめ人間登場」という言葉そのままなのではないだろうかと思い出し、久々に『よくわからないねじ』を本棚から取り出して読んでみます。
宮沢章夫さんはいくつかの著作を通して「私はだめ人間に憧れる」といったことを書かれていて、坂口安吾や太宰治、時には芥川龍之介の名前を挙げることも。『よくわからないねじ』収録の「だめに向かって」というエッセイでは
よく知られているだめ人間といえば、誰もがまっさきに思い浮かべるのは、太宰治ではないか。
とあり、さらに三島由紀夫がいかに太宰を嫌悪していたかについて書かれていて、これがまた何度も読み返したくなるような味のある文章なのです。太宰の性格的欠陥は健康的な生活をすることで治せたはずだ、治りたがらない病人には病人の資格がない、と痛烈に批判した上に「第一私はこの人の顔がきらいだ」と徹底的な嫌悪を見せる。
これを受けて宮沢章夫さんは「だからこそ太宰は真のだめ人間だ、と讃える言葉に等しいのでは」と綴ります。
そうだ、私が勝手に感じていた「家族思いで見直したと思ったのに、やはり太宰は太宰だった」は、当たり前のことだったんだ。だめ人間がデフォルトなんだ。だからこそ生まれる文学があるんだ。
実際、今回数十年ぶりに太宰作品を読んで
「こんなに面白かったっけ??」
と驚愕したのは事実。
この『グッド・バイ』という本は、生きるために奮闘する太宰、だめに向かっていく太宰、本領を発揮する太宰など、様々な姿が見られて必読の一冊だったんだな…と今更ながら強く感じたのでありました。
またいつものようにだらだらとまとまらない感想を書いてしまいました。肝心の「グッド・バイ」やドッグイヤーをつけた箇所の読書メモにはまったく触れられていませんが、長くなってしまったので続きはまた改めて_(._.)_
そうそう、「太宰ってこんなに面白かったっけ??」といえば、芸人の又吉さんが数年前に投稿していた「走れメロス」についての動画がとても面白かったです。
「走れメロスって有名な作品だけど昔読んだきりって人多いでしょ?大人になって改めて読んでみると見方が変わって本当に面白いんですよ」と朗読しながら解説してくれるのですが、言葉通り本当に面白いんです。しかも興味深い(面白い)ではなく、笑える(面白い)要素が強くて。とはいえただ茶化すわけではなく「ここが太宰の筆の上手いところでね」というポイント解説もあるので、興味のある方はぜひ~。