【ご予約優先】二人だけで営業している小さなお店です。混雑状況によりご予約のないお客様はご入店いただけないこともございます。あしからずご了承くださいませ。
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またキツネの話かよと思われてしまいそうですが…
▼最近のキツネ話
その①養狐場の話。
キツネというと定期的に聴きたくなるのが文珍さんの『七度狐』という演目。
とある二人の男が大阪からお伊勢参りへ行く道中、草むらへすり鉢を投げ捨てたらそれが一匹のキツネに当たってしまった。そのキツネというのがただのキツネではなく、人間にひどい目に遭わされたら相手を七度だますという悪いキツネだった… というのが事の発端。
いたずらをする悪ギツネということになっているけど、このお伊勢参りの二人もなかなか嫌なやつで、煮売屋にあった木の芽和えを鉢ごと盗んで中身をたいらげ、その鉢を投げ捨てたんですよ。煮売屋のおやじも変なやつではあったけど飲食店を営む身としてはついついおやじの肩を持ってしまうのであります。
というわけで完全に「七度狐いけ!やっちまえ!」派の私。
七度狐の登場シーンがまたいいんですよね。
悪いやつなぁ。
おのれぇ~~~憎いは~~~二人のォ~~~旅人!
よぉも稲荷の遣わしたる狐に手傷を負わせたな。
思い知らさん、今に見よ!!
この「悪いやつなぁ」のところの笛の音が好きです。上方は鳴り物がにぎやかで楽しいですよね。二人がだまされる度に鳴る笛と太鼓もついつい笑ってしまう。
この『七度狐』という演目、すべて演じるとかなり長尺になるため何度目かのだましでサゲることが多かったのだとか。そうしているうちに終盤の部分が廃れていき、今では最後まで完璧に演じることができる噺家さんはほとんどいないそうで…。
へぇ、そういうこともあるんですね(゜.゜)
そんな中、文珍さんが続きを創作し『新編・七度狐』として演じられているのだそうです。私はしばらくの間これが元々ある噺なのだと思っておりました。
ちなみに終盤はなかなか入り組んでいて面白く、何度聴いても「あれっサゲはどうなるんだっけ?」と毎回新鮮な気持ちでだまされてしまいます。(これは私の覚えの悪さがなせる技なのかもしれない…)
二人の男がキツネにだまされて川を渡るときの掛け声、「深~い~か~、深いか、浅~い~ぞ~、浅いぞ」は、同じ節回しの歌が『親子茶屋』という演目にも出てきますよね。
というかこちらが大本なのか。狐釣りというお座敷遊びで「つ~ろ~よ~つろ~よ、信太の~森の、狐どんをつろ~よ」と歌いながら鬼ごっこをするのですが、これが「深~い~か~、深いか」が同じでどちらもすごく耳に残ります。
『親子茶屋』も面白い話でとても好きだな。ただどうしても演目名を『親子狐』と口走ってしまう癖が抜けないのだけど。
そんなわけで「キツネといえば」でふと思い出す落語の話でしたm(__)m
庭や畑で作業をしていると、よく地域猫たちに絡まれます。
このシマシマちゃんは昨年秋にふらりと現れた新入りニャンコ。
我が家の窓辺に初めて現れたのは10月だったかな?ぱっと見「うちのサチコにそっくり!」でもわりと小柄だったから「ミニサチ」と呼んでいました。
↑うちのサチ。でで~ん。…あれ?似てる?
「アタイちゃんの方がもっちりしているし背中も黒々しているのよ」
うむ、確かに。こうして比べてみると結構違うな。どちらも可愛いね。
まぁそれはそれとして。シマシマちゃんは現在去勢手術が済んでおり地域猫として暮らしています。うちにも毎日遊びに来るけど主にお隣さんちにいることが多いみたい。ポッキーちゃんという名前も付けてもらったようです。
私が庭の手入れをしていると後を付いてきたり、ひとりで転がっていたり。
あったかそうでいいねぇ。
「ポッキーちゃんや」
あ、呼んだら来た('ω')
ここに来たばかりの頃はだいぶ痩せていたけど、今は少なくとも三軒(我が家含む)でごはんをもらっているからかふっくらしてきました。太り過ぎもよくないけどね、今くらいがいいのではないかな。
この子はとても人懐っこいので、当店付近でもし見かけたら仲良くしてあげてくださいませ\(^^)/
このところ雪や雨の日が続いていましたが、今日は久々にすっきりとした青空が見られました。
お元気ですか仙丈ヶ岳。あら、意外と雪が少ないように見えますね。
陣馬形山。4月上旬からいよいよ山頂のキャンプ場も営業再開だそうですが、先日スタッフの方が「今年は林道に雪が多く残っているから営業できるかどうか…」と心配されていました。早く解消されて問題なく上まで行けるようになるといいですね_(._.)_
さてこんな良いお天気の今日でしたが、オットは朝から屋根に上って作業をしていました。
実は昨日の雨で雨漏りしてしまった箇所がありまして。屋根裏を調べたところ、オットの見立てでは「煙突工事の時のコーキングが経年劣化したんじゃないかな」とのこと。ひとまずコーキング補修してくれたのでしばらく様子見。まだ雨漏りするようなら業者さんに見てもらおうと思います(・・;)
私はオットが屋根から落ちないように見守りつつ(万が一落ちてきた場合受け止められるわけじゃないんだけど)、庭の手入れ。先日出来なかった部分の剪定や草取りの続きなど。今日は外にいた方が暖かかったからちょうど良かったな。上の写真はルピナスの葉っぱ。この庭はルピナスが合うらしく、年々増えていきます。
庭の入り口近く、水仙第一号開花しました\(^^)/
雪割草は、白っぽいのに続き濃いピンクのも開花しました。出てくるのが遅かったから「まさか今年は咲かないのでは…?」と心配しておりました。よかった~。
他にもいろんな植物の芽が出てきつつあって、庭のチェックが楽しい季節到来ですね。
おやつを持って、ちょっとだけ雪山を歩いてきました。
数日前に養狐場についての薄っぺらい話を書きましたが(養狐場の話。 - ひねもすのたり。)、偶然にも先月はこんな本を読んでおりました。なぜかキツネつながり。
内山節さんの『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』
次は何を読もうかなと本棚を眺めている時に見つけた一冊でした。私は買った覚えがないので、オットのかな?もしかしたらオットの父が持っていた本なのかも。
かつての日本、それもキツネが住むような山村ではキツネにだまされたという話はよく聞かれたものだった。ところが1965年を境にそのような話は聞かれなくなってしまう。1965年の日本に一体何が起こっていたのだろう。
本書ではこのような内容について語られているのですが、タイトルにある「キツネにだまされなくなった」というのは一例であって、1965年頃から日本の社会がどう変わっていったのか、現代の私たちが生きている世界とは何なのか、それらについて歴史哲学の視点から考察されています。
これがまた…とても面白い一冊でした。
まえがきの冒頭が意外とふんわりとした雰囲気だったので軽い気持ちで読み始めてみたけど、とんでもなかったな。なぜキツネにだまされなくなったのか、という問いだったはずなのに思った以上に深いところまで掘り下げていくので「おぉ、おぉ…!?」とぐんぐん引き込まれてしまう。
キツネにだまされなくなったことについての考察は参考文献があるわけではなく主に各地の人々から聞いた話を軸にされており、「〇〇を原因にあげる人々もいる」という書き出しで始まる文章が多かった印象。また著者の内山さんが一年の半分を過ごされていた群馬県上野村での話も多く、それがなんだか『とある村の聞き書き』のようで、読み進めながら「あれ、著者さん民俗学者だっけ?」と表紙裏のプロフィールを確認し「そうだ哲学者だった…」という奇行を何度か繰り返してしまったのは内緒です。
一番印象深かったのは上野村にかつて存在した『山上がり』という救済システムの話。これはちょっと含蓄がありすぎるよ…!と思わず鼻息も荒くなり。あくまで地域限定的な習俗や信仰、よくわからない不思議な民間伝承、でも地域の人たちにとってはとても大事なもの。個人的に大変興味のある話が続いたのでもう目から鱗をボロボロ落としながらの読書でした。
が。
その後に続く第4・5章で哲学の話にギュン!と方向転換され、私の脳内は一気にクールダウン。それまで「これ日本人全員読んだ方がいいよ…!」と頭に血が上っていたからちょうど良かったな…。
皆さま哲学の話はお好きですか。わたくし自慢じゃありませんが哲学知識皆無なもので、哲学パートに突入し数行読み進んだところで「えっ今の文章進次郎構文みたいになってなかった!?」という感想が真っ先に出てきてしまい自分の低知能っぷりに愕然としました。
一応この辺りの話もすべて読みましたが、覚えているのは「やたらショーペンハウエルの名前が出てきたなぁ(ところで何を提唱した人だっけ)」のみです。ありがとうございました。
・・・・・ってそれで終われるわけではないのだけども。
せっかく面白い本を読んだから備忘録を、と思って書き始めたもののいつもどおりのだらだら駄文ですみません。肝心の具体的な内容についてはほとんど触れることができませんでした。ネタバレ回避!というのもありますが、単純に自分の中でまだ噛み砕けていない部分が多数あるので、改めて再読しなければなと思っています。
興味のある方はぜひ読んでみてくださいませ。好みは分かれるかもしれませんが、個人的には目から鱗ボロボロ本でした。
余談ですが。
読書中、オットに「今この本読んでるんだけどすごく面白いよ!いつどこで買ったんだっけ?もしかしてお義父さんの?」と訊くと「あぁそれ〇〇さんちでもらってきた本だよ」と…。
そういえばそうだった!!!
〇〇さんは同じ町内の方なのですが、私たちが移住してきて少し経った頃「本を処分するんだけど欲しい本あったら持っていって~」と声をかけてもらい、ご自宅へ伺ったことがあったのでした。もう7~8年は前になるのかな…。
そうか…そうだったか…。数年間本棚で寝かせ続け、ようやく読まれたかと思ったら「これ誰の本だっけ?」なんて、〇〇さんが知ったらどう思うか…(;'∀')いや優しい方だから怒らないとは思うけど。今度会ったらお礼を伝えねば。
ちなみに〇〇さんは大変知的な方なので、この本の元の持ち主と知った時は「…どおりで!」と頷いてしまった私でした。
もうひとつ余談ですが。
本書では1965年以降の日本について「社会・人間が変わった」という説が多く語られていますが、「実はキツネの方も変わったのではないか」とも書かれていてとても興味深かったです。そして文中に「養殖ギツネ」という文字を見つけ、またしても養狐場の話とのぼんやりとしたつながりを感じたのでありました。
…って実は時系列で言うと
1.『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』を読む
2.養狐場の話を新聞で知る
3.YouTubeでたまたま養狐場の話をちらっと聴く
4.井戸尻考古館に行く
という流れだったのですが、今回この記事を書くにあたり『日本人はなぜキツネに-』を断片的に読み直したところ「あっここにも養殖ギツネの話が少しだけど載ってる!」とハッとしたのでした。あれ?一度読んだはずなんですけどね…なぜか新鮮な驚きがありました。1の状態の時は養殖ギツネというワードに一切引っかからずスルーして読み進めてしまったのでしょうねきっと(;'∀')いい加減なもんだな…。
すみません、余談すぎる余談でした。というわけで何の役にも立たない読書メモでありましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました_(._.)_