ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

平出博物館へ【後編】

塩尻市の平出博物館へ行ったお話。(2022年4月)

前編はこちらです↓

 

こちらは抽象絵画文土器。おお、これは…井戸尻で見たみづちではないですか?

↑こちらは井戸尻考古館のみづち文深鉢土器。

みづち文ではなく抽象文という名前になっていることについては色々な経緯があったようで…。

元々この土器に見られるような模様は、何かを抽象的に表現したものとして抽象文土器と呼ばれているそうです。まるで山椒魚のような、あるいは蛇のような…中には「哺乳類ではないか」という説もあるとか。

考古学者の藤森栄一さんが「まるで山椒魚のように不気味にうねっている。この文様につけるべき名称を長い間考えてきたが適切な考えが浮かばない。何とも奇怪で必ずしも山椒魚に限ったわけではなく、思いのままの抽象なのであろう。」とおっしゃるように、特定の動物に限定できないことから抽象文と呼び、広く知られるようになったのだそうです。

ところが最初に「山椒魚のような」としたことから「これは山椒魚文だ」と限定的な意味で使用されるようになっていき、長野県内の考古学者の間でもそのように呼ばれるようになったとか。

そんな中、井戸尻考古館では抽象文に対するふさわしい名称をずっと考えていたのだそうです。元館長の小林先生は、類似する龍の文様が中国にあるとしながら、ワニやサメ、魚などの要素が混合した創造的な水棲生物ととらえ、「みづち」というしかないだろうと結論づけたのだそうです。※みづちは正体の知れない怪奇な水棲生物で、龍のような姿をした水霊とされている

なるほど~…それで井戸尻ではみづち文、平出では抽象文という名前になっているんですね(゜゜)

ただその後も地域によって、あるいは専門家の先生によって様々な解釈がされたり違う名称が使われたりしているそうです。この文様は関東地方でも見られるそうなので、機会があればそちらの考古館にも足を運んでみたいなぁ。

順に土器を眺めていく中、こちらの土偶はつい二度見をしてしまいました。この姿、この顔、とても気になる…。

弥生時代に作られたとのことなので少し時代が新しくなりましたね。

名前は『げいめん』 …げいめん???調べてみると漢字で「鯨面」と書き、入れ墨をした顔という意味なのだそうです。

用途については「先祖の仲間入りをするための行事として、死んだ人を埋めた後、時が経ってから骨を取り出し、このツボに入れてもう一度埋めたとされています。」と説明のボードに書かれていました。

古代の入れ墨といえば魏志倭人伝に出てくる記述。それと、東国視察から帰還した武内宿禰の「日高見国の人々は体中に入れ墨をしておりましたぞ」という報告が思い出されます。『マッドメン』では(漫画の話でスミマセン)コドワの全身に施された入れ墨は縄文時代土偶に酷似していて、その秘密を暴くためのあれこれが描かれていましたね…古代ロマンじゃのう…。あっ諸星大二郎といえば!原画展に実物が展示されていた例の「トコイトコイ」の土面。作中では涙の跡という話だったけれど実際は入れ墨と仮定されているそうですね。福島県だったかな…もう一度会いたいな。

土偶の文様から「縄文時代から入れ墨は存在したのだ」説もあるそうですが、「いや、土偶の文様というものは同じ時代の土器と同じ文様が施されているんだ。だからこれは入れ墨を表したものではないのだ」説もあるとか。素人からすれば「どちらもありそう」と思ってしまいます…(゜゜;)

その後は縄文後期のコーナーや、更に時代が進んで巨大な銅鐸などの展示などなど。

そうそう、↑個人的にこの張り紙がものすごくツボでして…

スイッチが壊れてからの松ぼっくりを置く流れがシュールすぎて「置いてくれるなwwwでもこれを考えた方と友達になりたい」とニヤニヤしながら展示を見て回った私でした。

ちゃんと置いてある('ω')ウフフ

それにしても縄文中期から後期、あるいは弥生への土器の流れは何度見ても「スンッ…」となってしまいます。というよりも縄文中期頃の神がかりっぷりが異常すぎて。生活環境、人種、信仰の変化など様々あったのだろうけど…。

一通り展示を拝見した後は、最後に民俗資料コーナーへ。

蕎麦屋としては、蕎麦に関する資料があるとついつい気になってしまって。じっくりと楽しませていただきました\(^^)/

これですべての展示品を見終えました。私はついつい縄文土器土偶に吸い寄せられてしまうのですが、その他にもたくさんの貴重な遺物が展示されています。りんご畑から見つかったという緑釉水瓶(平安時代)はとても美しかったし、菖蒲沢瓦塔(奈良時代)も大迫力でした。ぜひぜひ足を運んでみてくださいませ。

博物館を出たらすぐ隣にある歴史公園へ。

そうそう塩尻周辺といえばわりと市街地でも熊が出るイメージ(県内ニュースで何度か見たような)。

公園は広く、奥には古墳もあるそうですが、もう夕方近かったこともあり比較的近い住居跡などを見学するだけに留めました。

あらら、こんなところにカタクリが!住居跡近くの斜面にたくさん咲いていて嬉しい出会いでした(^^)

その後は歩いて数分の距離にある平出の泉へ。周りには桜の木があってとても美しい風景でした。もっと明るいうちに行ければ良かったかな。

この地域に5千年前の時代から集落が形成されたのは、この泉があったからだと言われているそうです。泉から出て集落内へと流れる水は現在でも生活用水として利用されているそうです。縄文時代から地域の皆さんの生活を支えているのかと思うとすごく壮大な物語ですね。

博物館でいただいた絵地図によると「ほとりに立つ水神様周辺が水源で、毎秒45リットル、水温13度のアルカリ度の高い清水がいつのときも湧いています。」とのこと。

へぇ~毎秒45リットル… 毎秒45リットル!?

湧出量が多いため約7日間で池の水がすべて入れ替わるのだそうです。ひえー(;'∀')

 

この時は博物館周辺しか散策できなかったので、次は遺跡公園の方も見に行かねばな。もちろん博物館の土器や土偶たちにもまた会いに行きたいと思います。

拙い記録ですが今回もお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m