火焔型土器の話の続きです。
この形の土器を呼ぶのにぱっと思い付く名前は、私の場合は火焔型土器でした。でも火焔土器とも呼ぶような…そもそも火焔?火炎?
様々な疑問があるけれど博物館を巡ればいろんなことがわかるんだろうなということで、今年6月に新潟県で博物館巡りをしてまいりました。
…結果、余計混乱しました。
初めに訪れた長者ヶ原考古館では「火焔型土器」と書かれていたのでふむふむと思った私。次の新潟県立歴史博物館の説明では…
火焔土器は1936年(昭和11年)に馬高遺跡で発見された中期縄文土器。愛称は燃え上がる火焔のような優美な形に由来している。鶏頭冠と呼ばれる口縁の突起が最大の特徴。
ふむふむ。
火焔土器の仲間には、火焔土器とそっくりな火焔型土器と、(鶏頭冠が短冊形の突起に代わりながら)火焔土器にそっくりな王冠型土器とがあり…
へぇ~~~… え?
火焔土器とそっくりならそれはもう火焔土器でいいのでは(ド素人のいい加減な感想です気にしないでください)と思いつつも、火焔型土器と王冠型土器についての説明パネルがありました。
なるほど…火焔土器というとすべてがあの鶏頭冠のゴテゴテ飾りというわけではないんですね。(その他っていうのも気になるけど)
しかも、このタイプの違う2種類の土器は同じ遺跡から出土しているのだとか。地域によって違うものが作られたのかなと思ってしまいました。
考古学者の小林達雄さん(新潟県立歴史博物館名誉館長)は「この世には陰と陽、夜と昼、女と男、死と生というような対となる2つの軸がある。縄文人はその考えをこの2つの土器で表したのでは」と考察されているそうです。な、なるほど…!そういう考えもあるのだと知るとなんだか見方が変わりますね(゜゜)
…おや、ちょっと待って、
また違う言葉が出てきているわ。火炎土器様式とはなんだ?と説明の続きを読むと…
火焔型土器や王冠型土器に伴う越後独自の土器、更に越後周辺の土器に似たものを総じて火炎土器様式と呼ぶこともあるそうです。
とのことでした。とにかくこういったタイプの土器が信濃川中流域を中心にたくさん作られましたよ、ということなのですね。焔と炎の使い分けがよくわからぬけども…
焔炎問題はさておき。先程の『火焔土器と、火焔土器にそっくりな火焔型土器』について、下記のような説明を見つけました。
馬高遺跡で発見された最初の土器は「火焔土器(馬高A式1号深鉢土器)」と呼ばれ、その他の土器や他遺跡で出土したものは「火焔型土器」と呼んで区別されている。
へぇ~そういうことなんだ!?火焔土器とは一番最初に見つかった特定の土器のことを指す固有名詞なんですね。その後同じような様式のものがたくさん出土されたから、それらを区別するために「型」をつけたんだ。
馬高縄文館といえば、県立歴史博物館の次に向かうところですよ。そこに行けば理解が深まるかしら。
そしていざ馬高縄文館へ…
馬高遺跡の…火炎土器… またちょ~~~っと違う…。
単純に漢字表記の違い(うっかり変換間違えちゃったわとか)というわけではないんですよね… なんだかすっきりしないので最終的にネットで調べてみたところ、
火炎が使用される場合の例としては「火炎土器」と「火炎土器様式」がある。火焔よりも広い概念(例えば火焔型土器と王冠型土器とを包括するものとして)を表していることが多い。以上の例は考古学的な概念規定の相違によるものであるため、研究者によって使用法が異なることがある。(Wikipedia)
なるほど、諸々ひっくるめたのが火炎なんですね…と納得したと同時に最後の一文で「あんまり気にせんどこ」とようやく気付いた私でした。
ほんと火炎土器…火焔型土器(結局いまだに定まらない)といっても色々な形があるのですね。
こちらは王冠型。スタイリッシュでカッコいいな。
県立歴史博物館にもあったけどこちらにも浅鉢タイプがありました。
お次は火炎土器の構成だそうですが… ここで衝撃の事実。火炎土器様式には装飾のない地味な土器もある…とな…!?
これがD群土器。説明によると、装飾的グループ(火焔型土器や王冠型土器など)は原則として縄文を使用せず立体的な隆線文で表現されている。対して非装飾グループは縄文をつけただけの簡素な土器、とのこと。(もうここまで来ると火炎土器の定義がド素人にとってはワケワカメ)
どう見ても火炎っぽくないのですが、なんと出土された火炎土器の中ではこの地味なD群が圧倒的に多く、全体の63%なんですって。B・C群は30%。火焔型・王冠型土器含むA群はたったの7%だそう。(なぜこれらの総合的な名称が火炎土器なんだ…)
驚きの事実ですが、数については妙に納得してしまいました。博物館に行くと豪華な装飾のゴテゴテ火焔型土器がずらりと並んでいるので「この地域ではこんな土器ばかりが作られていたのか!」とつい錯覚してしまいますが、実際は全体出土数のごく一部なんですよね。…いや!ごく一部といっても、展示されているものだけ見ても相当数ですよ。当時の人々が卓越した技術とセンスを持っていたのには違いない(゜゜)
ちなみに超今更な情報ですが、火焔型土器はこんな見た目なのに用途はきちんと煮炊き用だったそうですね。内側のおこげを分析した結果、木の実、肉、魚などを煮ていたことがわかっているのだとか。しかも、下部よりも上部が広がっているのは吹きこぼれを防ぐための工夫なのではという説もあるそうです。ところで…この上が広がった深鉢型、ソフトクリームのコーンで似たようなのありますよね…(発想が貧困でスミマセン)。
とはいえあまりに特徴のある装飾が施されていることから、煮炊きだけではなく祭祀にも使われていたのでは、とも考えられているようです。
結局この豪華な飾りが何を表しているかについてはわかっていないそうですが、「炎の中で炎みたいな形の土器を使ったらカッコいいかも」という遊び心もあったのかな?なんて、わからないからこそ色々妄想が膨らみますね。
今回はここまでにしておきたいと思います。覚書として下にざっくりまとめてみましたが語彙がアホですみません。そして素人が趣味で調べただけですので解釈違いなど多々あるかもしれません。あまりあてにされませんよう…。
・火焔土器…ゴテゴテ鶏頭冠ありの土器第一号
・火焔型土器…火焔土器風の鶏頭冠ありの土器(2点目以降)
・王冠型土器…火焔型土器の鶏頭冠やギザギザ縁飾りなどがすっきりデザインになったタイプ
・火炎土器様式…越後やその周辺で作られた同じような形のものをまとめて呼ぶ
※火炎…火焔型や王冠型など諸々ひっくるめて広く呼ぶ
・火炎土器様式のほとんどはゴテゴテ装飾のない地味なもの
あれ、どこかで「火炎系土器」っていう言葉も出てこなかったっけ?(←混乱して存在しない言葉を生み出してしまいそう)
火焔型土器についてはつい先日も十日町で拝見したので、改めてそちらも載せたいと思います\(^^)/