ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

浅間縄文ミュージアムへ【その1】

博物館巡りの話。

埼玉の『縄文コードをひもとく』展のこともまだまだ書き足りないのですが、先日黒斑山の山行記録を書いたところですしその流れで浅間山麓のことなど。

山行記録の最後にもちらっと書きましたが、下山後は浅間縄文ミュージアムへ行ってまいりました。御代田町の複合文化施設『まなびの館 エコールみよた』内にあります。

浅間縄文ミュージアムHomepage

おお…廊下に有名どころのレプリカがずらり。遮光器土偶にハート形土偶縄文のビーナス

土面たちも。一番右のは刺青が特徴的な盛岡の土偶頭部だ!他に鼻曲がり土面もいましたよ。

…おっと、中に入る前からテンションが上がってしまった。まずは窓口で観覧料を支払ってパンフレットをいただくのですが、その時に手渡されたものが…

あらっ手提げの紙袋に入れてくださったよ!?パンフレット類はそのまま渡されることがほとんどなので手に持った状態で観覧するかバッグに入れておくかなんだけど、このちょっとした心遣いが嬉しい。

しかも!!

チケットがなんと土器の形のカード(一番右)。更に「これはプレゼントです」とポストカードまで一枚ずついただいてしまった…!

え~~~こんなに優しくしてもらっちゃっていいんですか!?

なんか、ありがとうございます…また絶対来ますね… と、展示室に入る前から既に再訪を誓ってしまう私(激チョロ)。

展示室は、縄文の夜明け前の暗がりからはじまります。太古の人々も眺めていたであろう真っ暗な山の稜線。星も月もとんでもなくきれいだっただろうな。

暗がりを抜けた先には住居跡の発掘現場の再現。

信州では、従来八ケ岳の豊かな縄文文化が脚光を浴びてきた。 しかし、近年の相次ぐ調査によって、八ケ岳山麓とは異なった浅間縄文文化が そのベールを脱いだ。(公式サイトより)

そうなのですよね、八ヶ岳浅間山は近いようで遠い。

縄文中期の集落の分布について。

やはり北陸、中部高地周辺、そして南関東はにぎやかですね。中期というと気候も温暖で人口が増加していた時代。土器の装飾が一番盛り上がっていた頃ですね。

↑説明のパネルが暗くなっちゃったな、読みづらくてスミマセン。

縄文時代の人口動態についてはSNSなどでもシミュレーション動画を載せている方がいたような。データを調べ上げるだけでなくそういったものを作れる技術があってすごいな。

人口の増減や移動の結果だけを見ると「へぇ~」で終わってしまいそうですが、その背景には必ず鬼界カルデラの大噴火、縄文海進、そして気候の冷涼化、稲作の伝来とそれに対応できたか、などなど様々な出来事があって、そのすべてがつながっているのだと思うとより一層興味深くなります。

今回の展示の話とはちょっとズレますが、最近は縄文後期晩期~弥生前期あたりの時代がとても気になっています。主に気候の変化によってこれまでと同じ暮らしを続けていけなくなった縄文人の苦悩や葛藤について。少しずつでも知識を深めていきたいところであります。

展示内容や遺物についての説明・解釈は施設によって様々ですが、個人的にこちらのミュージアムのスタンスがとても好ましいなと思いました。偉そうにすみません。

「違う時代を生きたとはいえ縄文人も私たちと同じ人間なのだから」という軸がピシッと通っているように感じられて。いいですよね、ケータイを使いこなして彼女とデートする縄文人

そして有孔鍔付土器の用途については太鼓推しというのもまた\(^^)/

 

展示室の一画には土器を作る縄文人の模型。随分リアルだな~と思いながら眺めていくと、

その先にはより一層リアルな女性が。んん?なんだか見覚えがあるような…

あ、この方もしかしてゆきえさんじゃない??

やっぱりそうだ!ゆきえさんだ!!(隣にブロマイド風カードがありました)

一人でぶつぶつ言っていたらオットに「なんで知ってるの…?」と怪訝な顔をされましたが、ネット記事か何かで見たことがあるのですよ、『会いに行ける縄文美人』って。

ただどこの博物館にあるかまでは覚えていなかったので、ここだったのか!!と嬉しい驚きがありました。

お顔も髪も全体の姿も、今にも動き出しそうなほどリアルでした。

ちなみに検索してみたらゆきえさんの誕生秘話を見つけましたよ。

美しすぎる縄文人 ”ゆきえ” 誕生物語|八ヶ岳旧石器研究グループ

たくさんのこだわりが感じられてとても面白い記事でした。

ゆきえって仲間由紀恵さんのゆきえなんですね…!?文中では名前の由来を明らかにしていないものの、顔の造形について先生が「仲間由紀恵みたいな感じかな」とおっしゃったあと、ゆるっと「ゆきえを演出する小物類も…」となっているのがなんだかシュールでじわじわきました。

 

さて場面が変わりまして、こちらは早期~前期初頭の尖底土器たち。

尖底土器については「色々と謎」というぼんやりした印象しかなかったものの、週末縄文人さんの例の動画のおかげで解像度がぐんと上がりました。

↓この時の話ですね。

尖底土器と炉とロケットストーブ。 - ひねもすのたり。

ブログ記事自体は大部分がどうでもいい話ですが、あしからず。

ところで菅江真澄は尖底土器のことを「ころびがめ」と言ったとか言わないとか。そのまんまだけど言い得て妙なのよ。面白いな菅江真澄、諏訪以外のスケッチも見てみたいわ。

 

まるっとした注口土器。縄文後期(3500年前)、堀之内2式、御代田町滝沢遺跡出土。

あれ…この形、模様、埼玉でも見なかった?

そうそうこれ!(左)※埼玉県鴻巣市中三谷遺跡出土

図録を確認すると… 堀之内2式!ほれ!(テンション上がってしもうた)

堀之内式は縄文後期前半の土器の型式で、関東を中心に東北南部から近畿地方まで広い範囲で見られるそうです。千葉県市川市堀之内貝塚で出土した土器が標式になっているとのこと。

国指定史跡堀之内貝塚

私の目ではまったくわからないのでとりあえずのメモですが「縄文を施した上に太い線で文様を描いたのが堀之内1式、細い線の間に縄文を施して文様を描いたのが堀之内2式」という区分のようです。

今回はたまたま似た形・模様の土器を思い出したけど、過去にはスルーしているものもたくさんあるんだろうなぁ。一度見たものでもあとから写真や図録を見返したり、博物館などへ繰り返し足を運んだりしてようやく気付く。そんなことが今後も多々ありそうです。アンテナ張るの大事ね。

 

お次は… わっ突然の遮光器土偶

これはレプリカだけど小諸市から出土したのね。長野県内でも時々「これ遮光器土偶みたいだね」というものはお見かけするけど、ここまでガッツリ遮光器土偶なのは珍しいのでは?

あれ、ちょっと待って、これってもしかして体はほぼ復元なのかな…レプリカとはいえ異様にきれいな気がする。

調べてみたところ、こちらの土偶はやはり頭部しか見つかっておらず、それ以外の部分については浅間縄文ミュージアムで推定復元されたものだそうです。ただ頭部はとても良い状態で見つかっており、長野県では大変貴重なものとされているとのこと。

ちなみに何を参考に復元されたかというと、しゃこちゃんという愛称のついた亀ヶ岡遺跡出土のあの子だそうですよ。「遮光器土偶といえば」の超有名人(土偶)ですよね\(^^)/

頭部の現物はどこで展示されているんだろう。小諸高原美術館で見たという情報もあったけど企画展の時だけなのか、それとも常設なのか。いつかご縁があれば出会いたいものです。

 

近くの台に展示されていたのは、レプリカと書かれていてもドキッとしてしまう頭蓋骨。晩期(2500年前)。千曲川沿いの崖に開いた洞穴に埋葬されていたそう。

…崖に開いた洞穴…??なかなかすごい状況ですね(・・;)

 

こちらは顔面把手。一体どんな土器にこんな「もへ~ん」とした顔がついていたんだろう。目が合う度にフフッと笑っちゃいそうですね。

 

わぁ、こちらは獣面なのか…!左右の穴が目で真ん中のが口に見えるのですがなにが正解なのか。ポニョみたいだな。

 

さて、まずはここまででその1としておきます_(._.)_

次回は私が度肝を抜かれた焼町土器について。