ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

星降る中部高地の縄文世界 ~井戸尻の話~

先日出かけた特別展『星降る中部高地の縄文世界』の話。

中部高地(八ヶ岳周辺)が中心なのでもちろん井戸尻の土器たちも展示されていました。

長野県富士見町にある井戸尻考古館。

長野~山梨にはたくさんの考古館がありますが、中でも井戸尻考古館はちょっと雰囲気が違うなと素人ながら感じた記憶があります。文化系の施設特有のピリッとした緊張感というよりは、どこか町の公民館にも通じるようなアットホームさというか…

どうしてなのかなとぼんやり不思議に思っていましたが、その理由はどうやら井戸尻遺跡発見のきっかけにあるようなのです。

 

昭和30年、4つの村が合併して富士見町ができました。

そのうちのひとつである境村の人々が「合併したら私たちの村がなくなってしまう…これを機にみんなで村の歴史について改めて調べてみようじゃないか」ということで史学会が発足したそうです。

では発足の記念として偉い専門家の先生をお呼びして講演会を…という時に来られたのがあの藤森栄一さんだったのだとか。

 

藤森先生「ほら、お前たちの足元にも縄文人が眠っているんだ。掘り起こしてくれと待っているんだぞ!」

村の人々「おおおおぉーーー!!」

 

そこから本格的な調査が始まり、現在展示されている数々の土器や土偶たちが出土されたのだそう。

専門家の方も関わってはいるけれど、地元に住む人々が「自分たちの村の歴史を自分たちで明らかにしよう」という思いから始まった井戸尻遺跡の歩み。

↑これらのエピソードは井戸尻考古館のYouTubeチャンネルで館長さんがお話されていたことなのですが、聞いた時にすんなり「どおりで!」と腑に落ちた私でした。自分たちの村の歴史を大事にしようという思いが現代まで引き継がれて、あの考古館の雰囲気が作られたんですね。

ちなみに私は藤森先生による大演説の話がとてもツボで、時々思い出しては聴き直しています。

それにしても… 地元の人々は決して「歴史的発見をして我らの名を轟かせてやろう」と思っていたわけではないとは思うのですが、結果的に国重要文化財や長野県宝などに指定されるほどの大物土器が多数出土されたのは… なんだかすごい話だなぁと(語彙力の限界)。

あのエジプト神官柄(と私は勝手に呼んでいる)神像筒形土器が出てきているんですもんね…

↑こちらが神像筒形土器。実物は写真撮影禁止だったので縄文カードをば。

 

そうそう、神像筒形土器といえば!今回の特別展を見ていた時に

なにやら初めてお目にかかる大型の土器がありまして。

へぇーこれも井戸尻にあるんだ、なんて札をよくよく見ると… え?神像…筒…?

ほえっ、おんなじ名前じゃん!!!もうひとつあったの!?と思わず3度見してしまいました(・・;)井戸尻考古館とは書かれているけど個人蔵とのことなので、こういう特別な機会でしか拝めないのですね…ありがたや。ちなみに出土は小淵沢なのかぁ。

昨年春、井戸尻考古館前から眺めた富士山。美しく繊細な土器を作り出した縄文人は、一体どんな人々だったんだろうなぁ…。

 

他の話は、また改めて_(._.)_

 

最後に、昨年井戸尻考古館・歴民館に行ったときの記事はこちら↓