前回の続きです。その1はこちら↓
最初のフロアをぐるりと眺めたら、お次はいよいよ奥の部屋へ…っていちいち解説のパネルがかっこいいですね↑
川原田遺跡から出土した焼町土器。その展示室が、こちら…
おお…雰囲気がありすぎる…。
このピリッとした空気感、声を発するのも憚られてしまう。圧倒的重文オーラ…!!
そして肝心の土器ですが、なんじゃこりゃ!(ナチュラルに岡本太郎化してもうた)
これが焼町土器ですか、これまで見たどの土器とも違う。
見れば見るほど不思議な文様。伸び伸びと流れるような線は躍動感にあふれています。
そしてメガネのようなドーナツのような丸いもの、これらはどういう意図でつけられたものなんだろう。
どっしりしたタイプのものも。
へぇ、底が抜けたあと再利用されていたものなんだ。そりゃあこれだけ立派なものですもの、底が抜けたくらいでお払い箱にはしたくありませんよね。…いやそもそも「底が抜けたから炉の枠として再利用された」ということがわかるのがすごいです。煤の付き方の違いなどを見たらわかるのかな?(とりあえずド素人の私にわかることではないことだけは理解)
ところでこちらの展示室もすべて写真撮影可だったのですが、土器本体やら照明やら場の空気やらに圧倒されてしまったのか(?)、非常にまとまりのない順番で撮ってしまったので現物と解説パネルがうまく合いません(・・;)
↑この典型的な焼町土器としてNO.1の座を射止めたのはどれだったのかな…また現地へ足を運ばねば。気になる方もぜひぜひ。
今更の話になってしまいますが、そもそも焼町(やけまち)土器とは、塩尻市の焼町遺跡で最初に見つかったことから名付けられたそうです。縄ではなく竹や木の棒で作られた模様や、メガネのような装飾、曲線、点々の文様が特徴とのこと。
分布の範囲は長野・群馬・新潟・栃木ですって。そうか、ぼんやりと浅間山麓周辺だけかと思っていたけどもう少し広いんですね。そういえばSNSで「栃木の某博物館に焼町土器があった!」と投稿していた方がいたような。珍しいことには違いないんだろうけど、一応範囲に含まれてはいるんだなぁ…。
あ、点々(列点刺突)とはこのことですね。恥を忍んで申し上げますが私はこれをずっとひまわりの種と呼んでおりました。(例:この土器はひまわりの種があるね、こっちの土器にはひまわりの種がないな)
土器の縁につけられた立体的なメガネは滑車や糸巻きのような形… あ、縄文のピアスに似ているんだ。ゆきえさんがしていたような。
こちらにもひまわりの種(目立つからここばかり注目してしまう)。
あれっまた違う様子の土器が出てきましたよ。すっとした傘立てのような形に、パネル文のように区切られた模様。中部高地にいそうな雰囲気。
そしてこちらは… わわ、全体が大きくうねるような力強さ。
この時撮った写真の順番からして、こちらの土器が「勝坂式土器」で合ってるのかな…ド素人が見ると勝坂みが感じられないのだけど(・・;)でも環状突起をつなぐ刻みをもつ隆帯、隆帯に沿って連続する爪型の刺突というとどう見てもこの土器のことみたいだな。
ちなみに勝坂式は関東~中部地方の縄文中期前半の土器型式名で、神奈川県相模原市勝坂遺跡出土の土器を標式にしているそうです。
勝坂式はとても有名な型式なので名前はもちろん存じておりますがまだまだ勉強不足でして…。
というのも、どう見ても中部高地風の土器が勝坂式と書かれていることがよくあり「井戸尻周辺じゃなくて関東のものなのか?」というぼんやりとした印象を持っていたものの、ある時ちらっと調べてみたら、藤森栄一さん達が提唱した土器編年が勝坂式に対応しているそうで…?例えば藤内式が勝坂2式、井戸尻式を勝坂3式と対応させる提案がされているとか…?(文末に?ばかり付けてしまってスミマセン)
そう言われると「なるほどじゃあざっくりイコールで考えても罰は当たらないんだな(?)」という結論に達しますが、細かいところまで探ろうとするとさすがに素人には限界がありますね。
ちなみに井戸尻式について検索していたらたまたま辿り着いたこちらの記事がわかりやすくてためになったので備忘録的にペタリとさせていただきますm(__)m
まだ半分も焼町土器の魅力をお伝えできていない気がするのですが、とにかく圧巻の眺めでした。皆様もぜひ直接体験されてくださいませ。
さてお次は同じ展示室内にあった他の土器たちをば。
わっ、まんまるおまんじゅう!この子が例の…
そうだ、カワラダくんですね!?こちらのミュージアムのシンボルにもなっていて、ちょこちょことお見かけする機会がありました。こちらも土偶ではなく土器の把手(装飾の一部)だったのか~。
確かに吊り上がった目とぽっかり開いた口は中期の典型的なお顔。そしておでこのV字というか逆さ富士のような模様は中部高地のお顔にもよく見られますよね。
それにしてもこの質感、色、形… かりんとう饅頭あるいはみそまんが食べたくなりますね…(お腹が空いてきた)。
他にはこんな土偶も。悲しいのかい?つらいのかい?それとも脱力?表情が読めない…。
頭の形がよくわかるよう鏡を置いてくださっていました。これもカッパ型土偶と呼んでいいのかな(全然違っていたらスミマセン)。全身が残っていたらどんな姿だったのか気になりますね。
こちらは焼町土器とはまた違う様子の深鉢(同じく川原田遺跡のもの)。
どういうポイントで重文に指定されているんだろう。詳細わからずでしたm(__)m
そしていよいよラスボス(?)の登場です。
長野県宝に指定されている顔面装飾付釣手土器、通称あくびちゃん。
すみませんブレブレで…!中期後半、宮平遺跡出土。
釣手土器というとランプ説が濃厚とされますが、こちらの土器は煮炊きの焦げ跡があるため鍋として使われていた可能性が高いそうです。
へぇ~…この脱力系の表情と、異様なほど高い鼻。この鍋を使ってどんな料理を作っていたのかな…
と、ここで気になる話が。こちらの土器、発見された当初は顔の中心部分が欠けていたのだそうです。
うう~ん…?拡大してみたけど高い鼻は一部でも残ってる?欠けてる?
もともと「この土器の顔部分は復元されたもの」という話はどこかで読んだことがあったのです。ただどなたが書いたのか、ブログだったかSNSだったかそれとも別の媒体だったかは忘れてしまったのですが。
みなでんのぴ~すちゃん(三本指の片腕が下がっている)もそうですが、もちろん専門家の方々は根拠があってこのように復元されたのだろうけど、どういった経緯で今の姿になったのか、果たして元々は一体どんな姿をしていたのか?
前述のぴ~すちゃんの件は先日館長さんから「ここに関節のようなものがあるから本当は腕が上がっていたんじゃないかという考えもあるんですけどね」とお聞きしましたが、あくびちゃんはどうなんだろう。「この復元グッジョブ!」派もいれば「違う!もっとこうなっていたはずだ」派もいらっしゃるのかな。
あっでもこの土器県宝でしたわ。レプリカがふるさと納税の返礼品にもなったそうなので町としては超グッジョブですよね。素人が変な邪推をしてスミマセン。
それにしても…あくびちゃんという愛称がついているだけあって、
こういう見方が正しいのだろうけど(マウスで引いたので線がガタガタなのは見逃してください)、個人的には
こう見えてしまう病にかかっております…!高い鼻の下にはっきりとした人中の線のようなものがあるのですが、それが「も~ん」と開いた口に見えて仕方がない。まぁこれはこれであくびをしているように見える、うん、見えますよね?(圧)
さて… あっこれで今回の記事用に準備した写真が終わりました!
なんだか最後が変な感じになっちゃったけど、しかもタイトルにその1とかその2と付けてしまったけど、浅間縄文ミュージアムの話はこれにて完結です。
土器によるド派手なオーラと、ちょっとしたお心遣い、少し意外だけど思わず頷いてしまうミュージアムとしての考えなどなど、なんだかすごくいい施設なんだなとすっかりファンになってしまいました。
そしてもっと早くに載せればよかったのですが、御代田町(公式)のこちらの記事がとても良かったのでリンクを貼らせていただきます。
特に後半、焼町土器のドーナツ状の飾りは「目なのではないか」という考えがとても面白くて素敵だなと思いました。私は現代人だけど、確かに山に入ると「誰もいないけど何かに見られている」「変なことはできないな(しないけど)」という気になるものです。
芹沢さんのおっしゃる通り当時の人々の感情まではわからないけど、現代でもその片鱗はそこかしこに残されているのかも?と思うと考える楽しさが増すようですね。
今回もだらだらとした拙い話にお付き合いいただきありがとうございました\(^^)/