ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

安行式土器と雅楽谷遺跡など。

埼玉県立歴史と民俗の博物館『縄文コードをひもとく』展より。

↓過去記事

前回「安行式の説明を撮りそびれた」と書きましたが、写真データを見返していたらちゃんとありました。

とはいえ深掘りできるほどの知識は一切ありませんので、内容を読んでそのまま「へぇー」と思うくらいの解像度しか持ち合わせておりません。

でもせっかくなので撮りためた写真をいくつか載せたいと思います。

192.安行式を代表するタイプの深鉢

寿能泥炭層遺跡という名前が強い…!それはいいとして、今回すごく気になったのはこの豚鼻状瘤という文様。

このポチポチとしたものが豚鼻状瘤だそう。確かに豚の鼻のようだ…。この文様が安行式の特徴のひとつで、精製土器の方に付けられているとのこと。

そうそう安行式は精製土器粗製土器がはっきり分かれているのも特徴だそうですね。

精製土器は美しい装飾が施されており特別な用途に用いられたもの、粗製土器は文様が少なく日常の煮炊き用として使われたもの、とされています

 

186.安行式のルーツとなる瓢型の深鉢

私の見る順番、写真を撮る順番がおかしかったので番号が前後しています(・・;)ルーツとなったこちらの土器を先に載せるべきでしたね。

そもそも安行式土器とは埼玉県川口市の安行猿貝貝塚の資料を基準として設定された土器で、後期中葉の加曽利B式・曽谷式の土器をルーツにしているのだそうです。

なるほど、上に載せたヒョウタンのような土器も曽谷式と書かれていますね。加曽利式も曽谷式も「名前だけは知ってる!特に加曽利式…!」程度でまだまだ勉強不足です。

安行式のルーツとなった土器としては他にも波状口縁のもの、瘤が付くもの、文様が共通しているものなど、安行式へと引き継がれる特徴を持つ土器数点が展示されていました。

 

さて更に見ていきますと、

201.豚鼻状瘤をもつ在地系の注口土器

なんだかまるっとゴテッとしている印象ですが…この隣には

(左:201 注口土器 右:200 深鉢)

同じく豚鼻状瘤をもつ波状口縁の深鉢が展示されておりました。へぇ~と思って眺めていたのですが、別の展示台に…

(左:209 注口土器 右:208 深鉢)

なにやら既視感… あ、このセットさっきも見なかったっけ⁉と展示台を行ったり来たりしてしまいました。ひとつ前の写真と見比べてみるとそっくりです。

まったく同じというわけではないんだけど…。

↑は208番の深鉢。200番のものと比べると口縁部の形や数が違いますね。でも全体の形や文様がそっくり。

小川忠博さんの展開図、豚鼻状瘤のポコポコが際立っていて可愛かったな(写真ピンボケになっちゃった)。

このそっくりな2セット、200&201雅楽谷遺跡5号土坑。208&209雅楽谷遺跡26号土坑のものだそう。雅楽谷遺跡…?関東方面はからっきしなので私にとってはすべてがはじめましての用語ですが、ありがたいことに説明パネルがちゃんと展示されていました。

現在の蓮田市にある雅楽谷遺跡の5号土坑と26号土坑からは、ほぼ完全な形に復元できる土器がまとまって見つかったのだそうです。

ちなみに土坑とは地面に掘られた穴のことですが、5号土坑は直径約80cmの楕円形で40cm以上の深さがある穴。26号土坑は直径約1mの楕円形で深さは40cm弱の穴とのこと。

そういえば先日南アルプス市の資料館で館長さんとお話しした時に「土器捨て場のようなもの」という話題がちらっと出たけど、あれは確か「土器も使っている内に割れたり壊れたりするから」「じゃあまとめてどこかに捨てたりするんですか、土器捨て場みたいな」という会話の流れだったっけ。この雅楽谷遺跡の土坑もそういう使われ方だったのかな。※素人の浅い考えなので違っていたらすみません

この2つの土坑から見つかった土器については、同じ時期とみるか、それとも前後する時期とみるかで専門家の方々の間でも意見が分かれているようで…。

上の説明パネルには先程の200&201208&209のことも書かれていますが、これらの共通した装飾を持つ土器よりも重要になるのは26号土坑から見つかった210と211なのだとか。

210と211かぁ… 写真撮ってないわ…

私は幸いにも図録を購入したので確認できますが、当ブログを見てくださっている方にとっては「それどんな土器なのよ」ですよね、すみません。

210と211はどちらも東北地域の大洞B式の影響を受けている土器なのだそうです。(210は台付皿で大きな縦長の瘤、亀ヶ岡式の特徴である三叉文が入り組むモチーフ。211は深鉢で胴部に弧線が入り組んだモチーフが階段状に連なる。)

大洞B式とは

東北地域を中心に分布し日本列島の広い範囲に影響を与えた土器文化である『亀ヶ岡系』の最初の段階の土器のこと。大洞式の土器の影響の有無は、関東地域における縄文時代晩期のはじまりの指標になっている。(特別展図録より)

へぇ~、26号土坑からこういった土器が見つかっていることから、一緒に見つかった土器たちを晩期の初段階と位置づけることができるんですね。ではひとまず26号は晩期初頭決定ということで…あ、ほんとだ写真や図録を見ると確かに『晩期・安行3a式』と明記されているわ。

で、専門家の方々を悩ませているのが5号土坑ということなんですね。こちらからは東北地域の影響を受けた土器が見つかっていないから、後期末なのか、それとも26号と同じ晩期初頭なのか。

ポイントは↓

200&201208&209の共通性を重視するなら後期末(安行2式)

・210と211の存在を重視するなら晩期初頭(安行3a式)

 

なるほど・・・・・・・

超初心者にとってはなかなかややこしい話なので現地で土器を見たり説明を読んだだけではよくわからなかったけど、家でじっくり資料を見ながらひとつずつ嚙み砕くことでようやく理解が深まりました。とはいえまだ若干の混乱が残っていますが(;'∀')

ちなみに5号土坑から見つかった土器の写真や図録を確認すると『後期末~晩期初頭・安行式』となっていました。さらっと書いてあることだけどここまで調べなきゃ意味がわからなかったなぁ。

あと、上でちらっと書きましたが後期末は安行2式で、晩期初頭は安行3a式なんですね…?この辺りはまだまだ勉強不足です(ギブアップ)。

 

さて慣れない勉強をして頭が疲れてまいりました。また番号が前後してしまいますがこんな変わった土器も展示されていましたよ。

202.迫力の台付鉢 おお…なんだろうこの形は…そして斜めっているせいか余計に異様さを感じてしまいますね。

「200のような深鉢が上下に縮み」…ほんとだ!台の水玉模様もなんだかモダンで可愛いですね。あ、これ5号土坑のものなんだ。

 

205.豚鼻状瘤をもつ台付皿 こちらは縦方向の豚鼻状瘤。胴部は上の202の台部と同じ文様とのことだけど…

展開写真を見てようやく「なるほどー」となりました。実物を見て納得できるほどの目がなかなか備わりません(そんな急には無理か)。ぽちぽちと並ぶ瘤が可愛いな。

 

こちらは晩期の安行式土器たち。

213.鰭状の突起をもつ波状口縁深鉢 わ、ほんとだ見事にヒレですね…!

一緒に並んでいた土器の中には豚鼻状瘤が垂れ下がるような形で付けられているものがあり「土器作りのコードに変化が生じています」とありました。(じゃあそちらを載せればよかったですよね、失敬)

 

225.豚鼻状瘤と三叉文の深鉢

在地の安行式×東北の亀ヶ岡式、ふたつのモチーフが見事に融合しているんですねぇ。個人的には縁のなみなみがとても好みです。

 

231.迷路のような文様の深鉢

なんだか妙な瘤…これも縦瘤なんですね?(よくわからなくなってきた) あと入り組んだ三叉文という言葉を何度かお見かけしたのですが、今ひとつ見方がわかっておりません(・・;)しかも↑は「やや崩れた」とな…!?現時点で私の目にはラーメンどんぶりの模様のようにしか見えないので、精進しなければな。

 

さて、こちらのエリアに展示されていた土器はまだまだありましたが、気になったものだけピックアップしてご紹介させていただきました。

少しは理解が深まったかな~…特に雅楽谷遺跡については思いのほか長文になってしまったけど「そういうことね!」と膝をポンと打つようなスッキリ感がありました。

それでは今回はこの辺で終わりますが『縄文コードをひもとく』展の話はまだまだ続きます。ご興味のある方、ぜひまたお付き合いくださいませ_(._.)_