ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

新潟福井旅②フォッサマグナミュージアム(前編)

旅の始めは糸魚川市をうろうろしています。

前回はフォッサマグナパークについて書きました↓

次は車で数分の距離にあるフォッサマグナミュージアムへ\(^^)/

フォッサマグナミュージアムは平成6年に開館した石の博物館。( 平成27年に全面リニューアルしたそうです)

常設展示室を6つのエリアに分け、糸魚川を代表する美しい鉱物「ヒスイ」や日本列島が誕生した際の大地の裂け目「フォッサマグナ」などをポイントに、地質の時代経過に沿って地球が育んできた自然環境や資源の恵み、また、その一方で人々の暮らしに脅威となる地震や火山、地すべりなどの自然災害について学ぶことのできる内容となっています。(糸魚川観光ガイドより)

入館料を支払ったあと展示室に向かうのですが、その道中で早速気になったものが…

わ~明星山だ!今回の山行の候補に挙がっていたところです。この風景見てみたいなぁ。

あれま!明星山って真柏があるところか…!!!!!

去年だったか一昨年だったかテレビ番組で真柏を探しにいく企画がありましたよね。確か博士ちゃんだったかな?すごいところなんだなぁ…。

真柏と聞いて思い出すことはもうひとつ。数年前に聴いていた某深夜ラジオにてパーソナリティの方が「真柏って死を抱きながら生きてるんだよ…!?」と熱弁していて、そのあと自分でも真柏を作ろう(?)としたんだけど失敗して「全部死んじゃった…真っ白になっちゃった…」と話していたのをなぜかいまだに覚えています。

通路で早速ひっかかってしまいましたがようやく展示室に入ります。大国主と奴奈川姫の神話からスタート。最後にはタケミナカタもしっかり出てきていました。

様々なヒスイがずらり。

わ、ヒスイといえば緑色というイメージだったけど青いものもあるんですね。

この淡い紫もヒスイなんだ…!

大きなヒスイだなぁ、持ったら重そう…

…ん?ケースの向こうに何やら人影が。

わっびっくりした!!誰か他のお客さんがいるのかと思った…

順路を通ってお二人に近づいてみたところ、左の方が相馬御風さんだと判明。ぎょふうさーん!こんなところにいらしたんですか!!

相馬御風さんといえば日本でのヒスイ発見にまつわる超重要人物ですが、詩人、歌人としても多くの作品を残されています。「春よ来い」や「都の西北」などの作詞をされたことでも有名で… あ、「都の西北」といえばサザエさん原作でマスオさんが歌っていましたね。早大出身でしたねそういえば(話が逸れましたすみません)。

日本でヒスイの利用が始まったのはおよそ7000年前、なんと縄文時代早期とされているそうで、これは世界最古のヒスイ文化なのだそうです。縄文時代中期には糸魚川にヒスイの加工場が設けられたのだとか。

なんだか縄文時代の二大スター(?)は『諏訪の黒曜石!』ドドン そして『糸魚川のヒスイ!』ドドドン というイメージですね。

そこから弥生・古墳時代にかけてヒスイは祭祀用や装身具として珍重され、交易品としても広く流通したのだとか。

そんなふうに数千年もの間大事に扱われてきたヒスイですが、仏教伝来の頃からだんだんと使われなくなり、奈良時代中期以降は歴史の表舞台から完全に姿を消してしまったのだそうです。

それまで日本の宝とも言える重要な存在だったヒスイがなぜ使われなくなったかということについては、宗教や政権の入れ替わりなど様々な説があるようで… 乙巳の変の際に蘇我蝦夷が舘に火を放ち天皇記や国記の他に珍宝を焼いて自害したとありますが、この珍宝がヒスイ(あるいはヒスイの産地などを記した書物)だったのではと考える方もあるとか… まさに歴史ミステリーですよね。

日本でヒスイが使われることがなくなったため、当然「ヒスイの産地は糸魚川」という事実すら忘れ去られていきました。

しかし遺跡を調査すればなぜか日本全国で大量のヒスイが見つかります。「日本にはヒスイの採れる所はないはず。これらはどこからやってきたんだろう?きっと海外から持ち込まれたのだな」という見解が常識とされてきました。

そして時が流れ、糸魚川で再びヒスイが発見されたのはなんと1938年。え?めちゃめちゃ最近のことではないか…!?

そのきっかけとなったのが、先程のパネルの相馬御風さん。御風さんは古代文献の記述からヒントを得て「糸魚川周辺を治めていたとされる奴奈川姫がヒスイを身に付けていたそうだが、もしかしたらヒスイはこの辺りの地域で採れたものなのでは…?」と考えたのだそうです。

その話が知人を介して伊藤栄蔵さん(写真パネルの右の方)に伝わり、伊藤さんは実際に地元の川でヒスイ探しを始めることにしたのだとか。

で…上の説明のパネルを読むと、調査二日目でヒスイを発見とありますね…!?ひえぇ

翡翠発見当時の話、だそうです。うわぁリアル~つい見入ってしまいました。

ただ、御風さんは1950年に亡くなるまで、小滝川で発見されたヒスイについて触れることなく沈黙を貫いたのだとか。それは何故なのか。フォッサマグナミュージアムのサイトにその理由についての推測が載っています。ご興味のある方はぜひ。

ヒスイって何だろう - フォッサマグナミュージアム Fossa Magna Museum - 新潟県糸魚川市のヒスイとフォッサマグナのことが楽しく学べる博物館

※『ヒスイの再発見の謎』という項目です

いまだに解明されていない謎が多く残っているのですね…。

ヒスイが発見されたあと本格的な調査が始まり、1956年には国の天然記念物に指定。そして最近の話では2016年に国石(日本を代表する石)に選ばれたのだとか。選考理由は「国産の美しい石であること、 縄文時代から日本人の生活文化と深い関わりがあったこと」などだそう。

再び表舞台へと戻ってきたヒスイ。古代日本人たちはどう思っているのでしょうね。ほっとしているのか、それとも「見つかっちまった…」と思っているのか。

次はヒスイの産地に関するパネルがありました。…え!?ヒスイって糸魚川以外からも採れるの!?

書き出してみると…

糸魚川および周辺地域(朝日町・小谷村・白馬村)が最大の産地であるほか、鳥取県若桜町、兵庫県養父市大屋、岡山県新見市大佐、長崎県長崎市(三重・琴海)、北海道旭川市幌加内町群馬県下仁田町、埼玉県寄居町静岡県浜松市引佐、高知県高知市熊本県八代市

上記の地域がヒスイの産地とされているそうです。引佐もそうなんだ!数年間住んでいたことがあるのに全然知りませんでした。

私の浅い知識では「糸魚川は日本で唯一のヒスイ産地」という認識でしたがこれは誤りで、正しくは「日本全国から出土したヒスイの加工品はすべて糸魚川産」ということだったようです。つまり「糸魚川以外から採れたヒスイは利用された形跡が見当たらない」ということだそうで。

そうか、私はそれで勘違いしていたんだなー。ひとつ勉強になりました。

 

先へ進むとヒスイ以外の様々な石が展示されていました。奴奈川石という石もあるんですね。

1975年に新潟大学の研究者により報告されたが新鉱物としての申請がされず、後にアメリカ人が正式に登録をした、と書かれていました。やんわりアメリカ人とだけ記してあるのがなんだかシュール…。

どの石がどのように出来ているのか。おお、私の好きな花崗岩だ。

片岩というと、ブラタモリでよくタモリさんが「片岩ですか!?」と言っているイメージ。ンギュギュギュってなっているんだっけ(私の語彙力よ)。

そして蛇紋岩というと真っ先に思い出すのは至仏山。これは多分鈴木ともこさんの漫画の影響です(;'∀')私は登ったことはありません…

様々な石たち。ひえー。

うへー… 感想が奇声でしか出てきません。あ、これメノウなんだ!

こちらは水晶。石英といっても色々なんですね…

え?ティモンディ?(乱視)

 

お次は青海石灰岩の話。

おお、今回山の候補に挙がっていた黒姫山と明星山について書かれています。3億年前…海底火山の上のサンゴ礁…「泥や有機物などが混じらない純粋な白い石灰岩」と聞くと俄然この目で見たくなってきますね。絶対に登りにいこう。

 

ミュージアムでの話はもう少し続くのですが、長くなってきましたのでここで一旦区切りたいと思いますm(__)m続きは後編で。