ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

高尾遺跡の土器たち。

前回の記事にて、町内にある陣嶺館という資料館のことを書きました。

陣嶺館へ。 - ひねもすのたり。

文中にちらりと書いた「ご近所さんからお借りしている土器や黒曜石」はこちらです↓

すぐ近くに住む平沢さんという方が50年ほど前に採集されたものだそう。本当はこれだけではなくもっとたくさんあって…

お借りした時はこの状態で「持ってけ!」と渡されたのでした(;'∀')その時の記事→土器・石器・黒曜石を見に。 - ひねもすのたり。

これらの土器は「高尾遺跡」で採集したものと聞いています。位置関係を地図で確認してみるとこんな感じ。ちょっとわかりにくいですが、黄色い点をつけた場所がひねもす所在地です。

こちらの地図は陣嶺館に掲示されていました。ちなみに高尾遺跡には第一と第二があるそうですが、職員さんに諸々尋ねてみたところ「それはきっと第一の方だと思いますよ」とのことでした。我が家からも歩いていける近さですな~。

↑黒曜石の欠片たち。

平沢さんいわく「土器は高尾遺跡で掘ったものだけど、鏃なんかはうちの畑からも出てきたんだぞ。きっと住んでいたのは遺跡がある辺りで、この辺りは狩場だったんじゃないか」とのこと。職員さんにもお話を伺うと「そうだったのかもしれませんね」と。なんだかリアルな話だなぁ。

平沢さんイチオシの木の葉圧痕。5000年ほども昔の葉っぱの葉脈がこんなにくっきりと。「はぁ~~~」と見入ってしまいます。

復元された土器を見ても「これは一体…」となることがほとんどですが、欠片だと尚更「???」ですね。これはなんだか魚のよう。

ぐるぐるシリーズ。あ、そういえば…

↑陣嶺館にてこの土器を見た時「うちにもこんなのあったな」と上の写真のぐるぐるを思い出した私でした。これは岩間の遺跡なんだ。高尾のお隣さんじゃん。

私とオットの中で一番謎だと思っているのがこちら↑

裏側もものすごく変わった造形をしていて(写真を撮りそびれてしまったな)、時々二人で「これは一体どの部分なんだ???」と考えていますがまったく分かりません。でも…

陣嶺館に少しヒントのようなものがありました。まったく同じではないけど「こういうパターンもあるのか…」と。

陣嶺館に展示されている土器の中には片側にだけ飾りがあるものがいくつか。それならば、うちにある謎の輪っかもこんなふうに…?素人の浅い考えなので全然違うかもしれないけども。

↑これ異様におしゃれだったな。あらら、高尾第一遺跡だわ。

片側の飾りといえば。↑写真だけで実物はなかった(多分)けど、なんだかおしゃれなコーヒーカップのような土器も。でもこれ…きっと実物は大きいんだろうな…(;'∀')

 

最後に。

陣嶺館絡みではないのですが、お借りしている土器の中で衝撃的だったものがありまして。それがこちら。

なんの変哲もない…というか、まぁよく見るような模様の欠片。でもなんだか気になりまして、ある時手に取りじーーーーっと眺めていたのです。

そしてすぐ近くに掲示していた諸星大二郎の原画展のチラシにふと目を移すと…

あぁそういえばこのチラシにも土器が載っていたっけ…  あれ??

・・・・・ウ、ウワアァァァーーーー!!!

オオナムチと 完 全 一 致!!!!!

 

い、いやっ、よく見ると完全ではない…けど!だいぶ!近い!!!

まさかまさか私が考古学や民俗学に興味を持つきっかけになった作品に登場する図柄に近いものがすぐ近所の遺跡から出てきているなんて(早口)。気付いた時はぶわっと鳥肌ものでした。

このオオナムチは遮光器土偶が元になっている印象だったけど、それは何故だっけ…?記憶を辿ってみると、別冊太陽の諸星大二郎特集で遮光器土偶とオオナムチの絵が同じ項目に載っていたのですよね。他の紹介ページでもそれらしい記述を読んだような気がする…。

でもよくよく考えてみたら暗黒神話の舞台に東北は出てこないし、オオナムチも遮光器土偶というよりは双環文の中部高地系土器に見えなくもない(素人の勝手な感想です)。

色々と深読みしたくなってしまうけど、諸星作品に整合性を求めるのは野暮だということはわかっています…一応…。インタビュー記事なんかも面白すぎますもんね。「昔は電車や宿の予約がめんどくさかったから現地にはあまり行かなかった」とか普通におっしゃっているので。

 

最後はまた隙あらば布教活動状態になってしまいましたが(なってないか)、お借りしている土器についてはもっとしっかり眺めてみないとな。スペースの都合で展示できずにいる分も改めて調べてみよう。

 

陣嶺館についてはまた続きを書きたいと思います\(^^)/