ひねもすのたり。

日々と山と猫と蕎麦屋のこと。

ちょっとだけ山へ。

この冬もなんやかんやで全然山に行けていない私たち。休みの度に天気が悪かったり用事があったりは仕方ないとして、昨日は特に用事がなかったのに9時10時くらいまで「どうする…?動く…?」とダラダラ。これだもんな。

昨日は結局いつもの傘山に向かってみましたが、御嶽コース登山口を出発したのが11時。もちろん山頂を目指すつもりはなく「まぁ途中まで登ってどこかでおやつ食べて帰ってこよう」ということに。そして、

入口屋でここを今日の山頂とするを発動してきました。

ついでに枝雀さんの『口入屋』に登場するおなべちゃんを脳内召喚して無事終了。

途中で岩間城址にも立ち寄り(といっても登山道の真横だけど)。

短い時間だったけど久々に山を歩けてよかったな。写真はあまり撮らなかったけどまた改めて詳細を綴ろうと思います\(^^)/

 

峠道。

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昨日は仕事の用事があり諏訪へ。

火山峠〜杖突峠経由だったのですが、帰りはすっかり雪景色でした。

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着雪した木々がきれいすぎる(助手席なのでのんきな私)。

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まだ3月ですもんね…4月の桜の季節にも降ることがあるからまだまだ気が抜けませんね。

さて諏訪へ行くならば!と富士見町の井戸尻考古館さんにも立ち寄り(個人的にはこちらがメイン)。

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藤森栄一さんの企画展が3/20までなのではよ行かねばと思っていたところでした。

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飯島の陣嶺館に並ぶ土器にも似ているものが多数あり、やはり同じ文化圏なんだなぁ…と再認識。

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そして双眼が美しすぎて、じっと見ていると引き込まれそうに。

良いひと時でした。

また詳しくは改めて_(._.)_

 

オリオンとクコチヒクと。

昨日は夕方の少し遅い時間にスーパーへ出かけたので、買い物を終えて帰宅する頃には外は真っ暗。

車から下りると星がとてもきれいで、こりゃまさに「星を見るとかして」だなぁ(byスティル・ライフ)と感動したのですが昨夜は新月だったのですね。どおりで。

数年前に撮影した、画角いっぱいのオリオン座。

星の写真が上手に撮れる方ってすごいですね… 私も以前は「山でテン泊する時に星の写真が撮れたらいいなぁ」と思っていましたが、最終的に「どうもダメだな」と断念しました。

それはいいとして。

やはりオリオン座は目を引きますね。

そして諸星作品『暗黒神話』に登場する菊池彦の「…冬はオリオンがきれいだ… 美しい…」を思い出してしまうのは私だけではないはず。何気ないようで、なぜか心に残る印象深い台詞です。

「人は風呂上りに九州人になる」と言ったのは宮沢章夫さんですが(著作『よくわからないねじ』より)、私は「人は冬になると菊池彦になる」説を提唱したい。

…あ、奇しくも九州つながりになってしまいました。

菊池彦は、作中では熊襲(クマソ)の血を引く菊池一族の若き当主。※熊襲記紀神話によると現在の九州南部に本拠地を構え大和朝廷に抵抗した勢力

菊池彦は魏志倭人伝に登場するクコチヒク(邪馬台国と対立していた狗奴国の官)なのではないかという説があるそうで、邪馬台国九州説を推している方々にとってこのクコチヒク属する狗奴国の位置が重要な手がかりとなっているとかいないとか。

邪馬台国がどこにあったのかは永遠のロマンであるかと思いますが、個人的に邪馬台国と聞くと『暗黒神話』の「ヤ・マ・タ・イー」と梵字を読むシーンを思い浮かべてしまう私であります。石仏の顔が怖すぎるんよ…。

…あれっなんの話だっけ?そうだ「昨夜は新月だったらしい」という話でした。それではおやすみなさい_(._.)_

 

キジ出現。

昨日の朝、お店のお手洗いでアラジンをつけようとガチャガチャやっていました。するとどこからか ギィ・・・ギィ・・・ と妙な音が。

床が鳴っているのか(古い家あるある)、アラジンをいじった時の音か、外のトタンが風に煽られているのか。どうやら、そのどれでもない様子。

しばらくじっと聴いていたら、裏庭の方から ゲェッキョ!! と大きな声。

鳥か!!

何の鳥だろうと慌てて裏庭に出てみると、数十メートル離れた辺りをカラス大の鳥がばっさばっさと飛んでいくところでした。張本人はあいつか?なんとなくキジみたいだったけど…

と思いながら家の中に戻ろうとしたら、

・・・あれっ?

ぽつんとキジおったーーーーー!!

じゃあさっき飛んで行ったのもやはりキジか。茶色っぽかったからメスかな… あ、わたくし、お邪魔でした?(;'∀')

トコトコ…

スタコラサッサ…

しばらく眺めていたら、ギャンギャン鳴きながら南の方へ飛んでいきました…ゴメンって…。

昨日聴いたのは、春先から初夏によく聴く鳴き方とはちょっと違っていたような気がします。キジもいろんな声で鳴くんですねぇ。

ところで一般的にキジは「ケーン」と鳴くと言われますが、実際の鳴き声を文字で表すのって非常に難しいなと常々思っている私です。まぁケーンと聴こえなくもないけど…でもあれ絶対濁音ついてますよね。

ゲヨッ!ゲヨッ!

エ゛オ゛ォッ!

・・・あれ、二つしか思い浮かばない。他に何かありますか?あ、最初の方に書いたゲェッキョも一案ですけども。

毎年我が家の周りにもキジが住み着いているので時期によっては声がしょっちゅう聴こえるのですが、たまに「ふすま一枚隔てた隣の部屋で鳴いてる?」というくらい大ボリュームで聴こえてびっくりすることがあります。畑にいるとしても少なくとも直線距離20mはあるはずなんだけど。声がよく通るんでしょうか。

これからまたキジがにぎやかな季節がやってきますね。

 

さて週末もたくさんのご来店誠にありがとうございました!

明日の月曜も営業日です。どうぞよろしくお願いいたします(^^)

 

今週の庭。

昨日(3/7)の朝の風景。「ほぼ水なんじゃないか」というほどべしゃべしゃの雪が広がっていました。

水仙たちもなんだか寒そうですね…。

でも日中の間にも雪はどんどんとけていき、屋根からは勢いよく雪が落ちていました。

里山の霧氷はわりと長持ちしていたな。巨人になってモフモフしてみたい…!という衝動に駆られてしまいますが、実際触ってもモフどころかベショですよね、きっと。

そして今日(3/8)はこんな感じ。雪はもう一部にしか残っていません。明日にはもっと少なくなっているだろうな。

屋根から落ちた雪のかたまり。

さて週末もよろしくお願いいたします。予約状況は土日ともガラガラなので今週はのんびり営業なのかな?どうなんだろう(゜゜)お出かけの方はどうぞお気を付けて!

 

スティル・ライフ。

季節は少し遡りまして…

秋が深まり始めた頃、その年で一番最初に「今夜はやけに星がきれいだなぁ」と感動し、それと同時に「そうか、もうそんな季節なんだ」と気付かせてくれる日が必ずあります。

昨年の秋にもやはりそんな日があったのですが、その時にふと脳裏をよぎったのは

『たとえば星を見るとかして』

という一節でした。これは確か…と本棚へ向かい、取り出した一冊が

池澤夏樹さんの『スティル・ライフ』でした。

以下、若干のネタバレを含みますのでご注意ください。

 

淡々とした、端正な、静謐な、そんな言葉が思い浮かぶ美しい小説。

我が家の本棚でずっと眠っていたこの本を久々に手に取り、おそらく10年ぶりくらいに読んでみました。

前回読んだ時からすると私の考え方や感じ方、取り巻く環境がガラリと変わったのか、冒頭からものすごい引力で引き込まれてしまい、結果、冬の間に何度も繰り返し読むほどでした。

 

主人公の「ぼく」と佐々井の二人の会話を軸に進んでいくストーリー。

中盤以降少し意外な展開があるものの、二人はそれぞれの内面を探り、そして外側の世界と向き合う。そして私は静かに流れていく時間をただ眺めるだけの 壁の心境でした。(あれっ急にオタク根性が出ちゃった)

 

以前はそこまで気に留めなかった、シーツに風景写真を延々と映していく場面。久々に読んでみたら「屈指の名シーンじゃないか…!」と胸にくるものがありました。

「なるべくものを考えない。意味を追ってはいけない。山の形には何の意味もない」

と、山々の写真を見るコツを小声で教える佐々井。自分で撮った写真も本や新聞から複写した写真も、選別してはいけない。

「そうするうちに個々の山は消えて、抽象化された山のエッセンスが残る」

「おもしろいだろ。写真というのは意味がなくてもおもしろい。一つの山がその山の形をしているだけで、見るに値する」

佐々井の話を聞きながら、なぜかフォッサマグナミュージアムで見た大スクリーンの映像がふわっと思い出されました。プレートが衝突し地面がうねりながら山が隆起していく。大地が引き裂かれて水が流れ込み海が現れる。目まぐるしく変化し出来上がっていく世界。

以前読んだ時にはわからなかったことが、「そういうことか」とわずかに見えたような気がしました。そう、山の形には意味はない。もしかしたら佐々井の言う通り、山には山の原素が降り積もり、熱帯雨林にはみずみずしい緑の原素が降り積もり、そんなふうに地形ができたのかもしれない。

「およそ目をもつものが何もいない時の、光景みたいなものがその時だけ見えた」

佐々井よ、お前は人生を何周してきたんだと問いたい気持ちもありますが、その前に注目したいのが主人公「ぼく」の雪の話。

目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた。

「ぼく」のこの話を受けて、佐々井はおそらく誰にも見せたことのない風景写真を見せたんだろうな、と思うと…

君たち… 君たち…

推しが尊すぎてしんどい。

 

……ハッ、真面目に本の感想を書くつもりが。

佐々井が異次元なのは誰の目にも明らかでありますが、我らが主人公「ぼく」も人間の本質を探る素養がある人物なんだと改めて気付かされました。ただの染色工場勤務の若者ではないのだよ(なぜか私がドヤ顔)。

特にラストシーンは「ぼく」と佐々井の最後の会話かと思いきや、これはイマジナリー佐々井を召喚した「ぼく」の内面との会話なのか。

あ、今、急に諸星大二郎の短編『桃源記』がよぎりました。陶淵明が旅の途中で潜と元亮という二人の人物に出会ったが、最後には二人は影となり「私たち三人はいつも一緒だったではありませんか…」。

 

いやぁ、それにしても。

佐々井にたいして「君はロマンチストなんだか理屈っぽいんだかはっきりしろ」と気軽にツッコミを入れられるようになったのは、私が10歳年齢を重ねたからなんだろうな。

ところでこんな細かいところはどうでもいいとは思うけど、10年と書いていますがおそらく10年前は移住・開業準備でドタバタでゆっくり本を読む余裕などなかっただろうから、12~13年前が正しいかもしれない、なんて。ただふと思っただけです失礼しました。

 

このあとまた数年置いて再読したら、次はどんな感想を抱くのでしょうか。

好きな本は数あれど、この一冊は紙でずっと手元に置いておきたいと心から思ったのでありました。こんな物語だけ読んで一生過ごしていたい。

 

…と、締めに入ってしまいましたが、読書メモとしてまだまだまだ綴りたいことがありますので、あと何回かに分けて書くと思います。ご興味のある方、よろしくお付き合いくださいませ。