ひねもすのたり。

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大桑村歴史民俗資料館『悠久のほほ笑み』

大桑村の歴史民俗資料館へ行ったのは今年4月。以前にもそのことについて少し触れたのですが…その時は年表の内容にいささか衝撃を受けたためこちらの資料館とは関係ない話でブログ記事を3つ分も書いてしまいました。

気になる年表。 - ひねもすのたり。

原人はどこへ。 - ひねもすのたり。

『のび太の日本誕生』を観る。 - ひねもすのたり。

こちらの資料館の顔といえば、ずばりこの『顔』。大きな人面装飾のついた縄文時代中期の有孔鍔付土器であります。土器の高さは約43cm、人面装飾は径約25cm。現時点で「日本で一番大きな顔」とされているそうです。

1999年に伊奈川の大野遺跡で出土、2001年に大桑村有形文化財に、さらに2018年には長野県宝にも指定されています。公募の結果『悠久のほほ笑み』という愛称も付けられており、まさに村の宝として皆さんに愛されているんだなぁということが伝わってきますね。

どどんと付けられた丸い顔がとにかくインパクト大ですが、他の部分はシンプルに仕上げられているようです。

ただ、『縄文アートを旅しよう!』という書籍によると

左右に残る渦巻き状のモチーフから抽象的な人体文が存在した可能性が考えられますが、あくまでも推定の域を出ません。

とのこと。へぇ~、この土器に山梨の踊る人のようなものが張り付いていたらと想像すると面白いですね。

ところでこのお顔、逆富士山のような眉毛や上向きの鼻、吊り上がった目などは中期の中部高地によくみられるもののようですが、どことなく東北みも感じてしまいますねぇ…この腫れぼったい目と口の周りが(素人の感想)。

側面の環状把手には黒色塗彩、人面装飾には赤色塗彩の圧痕がかすかに観察されているとのこと。

展示室内のテーブルには『悠久のほほ笑み』が載っている書籍が数冊置かれていました。あ、この表紙の注口土器、埼玉の縄文コード展で見た…!!お懐かしゅう。

こちらにもある通り、有孔鍔付土器といえば「お酒をつくるための容器」と「皮を張って太鼓にした」の二つの説が有名ですね。どちらにしても特別な存在の土器だったことには違いないようで。

確かにどこの資料館へ行っても有孔鍔付土器の完成度は頭一つ抜けていますもんね…たまに「うわなにこれ」と思わず呟いてしまうほど奇妙なものもあるし。

ページをめくると有名どころがずらり。おお、多摩ニュータウン!大ダッショ!プリケツの人…!!

別の書籍にはこれまた大きな写真が。なんというか…改めて見ると「これ本当に昔の人が作ったのかなぁ」と思ってしまうようなコミカルさですよね。山梨のピースちゃんなんかもそうだけど。

余談ですが、私が初めてこの土器の存在を知ったのはいつだったっけ?と記憶を辿ってみると…

初めて山梨県立考古博物館を訪れたときでした。縄文時代の顔を集めた特別展で、土器の現物はなかったけど↑このパネルを見て「わっなにこれ!面白い!」となり、更に「えっこれ大桑村なんだ!」とびっくりした記憶。写真になってもこの特大インパクト、一度見たら忘れられないほどです。

気になる方はぜひぜひ大桑村へ足を運び、実物をご覧になってみてくださいませ~。

あ、上の写真は資料館の入り口にあるレプリカですが、こちらの職員さんとしては「太鼓説」推しなのでしょうか。そういえば平出博物館にも太鼓と化した有孔鍔付土器の展示があったような。太鼓説の方が有力なのかな…?

でも井戸尻の藤内遺跡から出土した土器には山ぶどうの種子が付着したものがあったそうで、そうなると酒造器説に分がある…?(貯蔵用という説もあるようですが)

様々な説が飛び交い、素人としては「へ~そうなんだ」と飲み込むだけなのですが、思いを巡らすのは楽しいことですね。

 

さて、今回こちらの資料館に行ったら入手したいものがありまして。すべての展示を見終わったあと窓口へ行き…

オリジナルグッズ、『悠久のほほ笑み』のピンバッジを購入しました\(^^)/これネットニュースやSNSなどで見かけて気になっていたのですよ~。お値段もお手頃(確か200~300円くらいだったような気が)なので皆さんもお土産にぜひどうぞ。

紙袋には『悠久のほほ笑み』のハンコが捺されていてこれまた可愛い。

ちなみに資料館のパンフレット、入館券にも『悠久のほほ笑み』がババーンと。村を上げて推しておりますね…!

そんな中、大桑村在住の常連様から「これ村のキャラクターにもなってますよ」と教えていただき、公式サイトを見てみたところ、

いらっしゃいました(笑)キャラクター名は「のほほ~ん」ですって。体がついていて可愛いな~どこかで見つけたら写真撮ってこよ。
さて今回はのほほ~んこと『悠久のほほ笑み』ばかりの記事になってしまいましたが、他にも気になる土器が様々ありましたので改めて写真を載せたいと思います。